花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

東京都・新宿2丁目

東京の遊里跡、新宿を探索してきました。


2004年から08年の副都心線開通まで、新宿2丁目でなくなった建物あれこれです。
スライドショーにしてみました。

ぶらり町散策、初めて訪れた「於岩稲荷」の玉垣に寄進した三業地料亭組合の銘が刻まれていました。
新たな発見でした。
↓成覚寺の創建は文禄三年(1594)で江戸時代には箕輪の浄閑寺、千住の金蔵寺、板橋の文殊院、品川の海蔵寺と並ぶ投げ込み寺として知られていました。

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↓鈴木主水と橋本屋の遊女白糸の悲恋を物語る、心中者供養の旭地蔵。

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↓投げ込み遊女を葬った合埋碑。

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↓一見二階建ての建物も実は木造三階建て、表はスナックに改装されていますが、裏から見ると路地裏(A)の建物です。

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↓路地(A)を成覚寺墓地から見ると当時の面影が残っています。開かずの雨戸に興味がそそります。

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↓路地(B)この建物は色分けをされていますが、三軒長屋の建物です。

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↓路地(B)を裏から見たところです。

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↓遊里跡探索の目的ではなく、ぶらり町散策の途中でかの有名な「於岩稲荷」へ来てしまいました。
そこには新たな発見が・・・。

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↓通称「於岩稲荷」と言っていますが、田宮神社の向かいに日蓮宗陽運寺/於岩稲荷となっています。神仏習合の名残でしょうか。此方、田宮神社の玉垣には渋谷三業地料亭組合の銘が刻まれています。

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↓新宿左門町に渋谷三業地料亭組合と言うのもちょっと不思議な感じがします。
渋谷の三業地円山町だとちょっと離れていますね。

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↓陽運寺/於岩稲荷

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↓此方の玉垣には新宿2丁目カフェ-事業・・・と荒木町三業の銘。

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↓陽運寺境内にも新宿2丁目「遊楽」と刻まれていました。

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2003年2月10日・2011年2月19日

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東京都・伊豆大島

伊豆大島の遊里跡、波浮港を探索してきました。
今回の大島も前もっての遊里跡情報は入手せず、行き当たりばったりの路地裏探索でした。

大島は2度目で前回は熱海よりジェットホイルの日帰り大島。
滞在時間が3時間くらいと短かった為、岡田港到着~元町港散策含む温泉だけで終わってしまい、遊里跡、スナック街等は何もないのだなと言う印象でした。

今回は竹芝桟橋より22時出港のさるびあ丸での大島入り、
翌朝6時に着き、14時半同じ船で東京に戻る行程です。

↓竹芝桟橋さるびあ丸

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↓翌朝6時に大島岡田港到着
深夜便の時間にあわせ大島バスの臨時便があるようです。
元町港まで360円
(島内は全てバス移動なので、1日フリーパス2000円がお得かも知れません。バス車内で購入出来ます。)
因みに元町を起点とすると、
岡田港~元町港 360円 元町港~波浮港 680円で、各ルート往復するだけでフリーパスの方がお安い計算になります。
バスは大体1時間に1本の割合ですね。

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早朝着き、まだ店舗も殆ど開いていないので大島のマップを眺める。
(時期的に寒い時期はきついかも知れません。コンビニもありません。)
早朝時間を潰すとすれば、深夜便到着日に6時半から営業している元町港「御神火温泉」で暖まるのが良いかと(早朝料金500円・ロッカー100円)。

そうすると波浮港に「踊子の里資料館」となる物を見つけた(9:00~16:00・無料)。
かつては賑わっていた港町の旧港屋旅館。何か期待が持てそうな雰囲気ですね。

↓波浮港バス停から伸びる路地はとても良い雰囲気です。

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↓徒歩5分程で「踊子の里資料館」に到着します。
この路地がとても良かったのですが、詳しくは後ほど。

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↓誰もいない館内、ちょっとお邪魔します。
明治築で大正時代の増築とありますが、登録有形文化財の指定にはなっていない模様。
老朽化も拒めません。階段も含め全体的に傾いているんです。
階段は正面の大階段と左側に小階段のふたつ。小階段は立入禁止になっています。

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↓館内入るとテープが流れますが、
港屋旅館あらましを眺めます。

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↑↓大階段を上ってみると、3階へ続く階段と大広間の廊下ですね。

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↓大広間(襖を入れると三部屋)では宴会中。妙にリアルな蝋人形です。

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↓そして、此の踊子さん動くのです。
スイッチを押すと音曲と共にガシガシ動くのです。

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↓長い廊下の突き当たりには一階へ下りる階段。
一階の広間でも宴会中。

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↓旧湊屋旅館、結構愉しめました。
そろそろ宿を後にしましょう。
来た道を戻りますが、港町路地からも港屋旅館を望みます。

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↓路地の1軒、廃屋ですがとても気になる建物がありました。

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↓木造三階建てですね。

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↓遊里跡などでよく見られる窓枠。
よく見るとお玄関はふたつ。左側ひとつは木材で塞がれているようです。

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↓扉が開いていたので、ちょっとだけ失礼します。
かつてはお寿司屋さんだったのでしょう。カウンターの上には寿司ネタケース。
でも、よく見ると寿司屋としてはどこか和洋折衷。
寿司カウンターはバーカウンターの様にも見えます。

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↓お二階へ上がる階段の照明、とても素敵です。
お寿司屋になる前はカフェだったのでしょう。

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↓天井にはかつて此所にシャンデリア?がありました。と言う名残が。

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今回は思いもがけぬ建物に出会えてとても満足でした。
帰宅後サイトにて「伊豆大島 遊廓」で検索してみたら、
過去に行かれた方がいましたね。
2010年だったので5年前位。
その5年の間だ結構劣化も進んでいると思われます。

↓オマケ・帰路の船上からの大島。

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2015年10月29日

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東京都・八王子

東京都の遊里跡、八王子を探索してきました。
八王子遊廓の歴史はもともと宿場町だったこともあり、江戸時代には街道沿いの横山町、八日町に遊女屋が建ち並んでいたことが始まりとされています。
現在残る八王子田町遊郭跡は明治30年の大火により全焼してしまった街道沿いの遊女屋を市の北側の淺川沿いの一画に集められ、明治、大正、昭和と平均建坪200坪という大店が幅二十間の道に建ち並んでいたといわれています。
現在では大門通りに面した広大な敷地は倉庫や工場などに生まれ変わっていますが、唯一戦災を免れた八王子遊廓、現在も数軒残っている戦前の建物に当時の様子が伺えます(02年)。

2015年10月、ちょうど八王子に行く機会がありましたので、
一寸だけ覗いてみました。

↓田町界隈、大門の在った場所

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↓田町界隈の町並み(02年)

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↓かつては旅館か料亭だったと思われる建物。
残念ながら2014年1月17日火災の為焼失してしまいました。
「八王子 田町火災」で検索すると当時の模様がヒットしますね。

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↓2015年再訪。

↓田町界隈05/02/10

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↓現在は貸倉庫になっていました(05年)。

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↓2011年再訪。田町の一画は殆ど変わりはありませんでした。

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(2011年撮影・2014年火災の為焼失)

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(2011年)

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(2011年)

↓唯一名残を残しますね。

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(2015年)

↓火災の跡地はすっかり変わり、新しい建物が建っていました。
勘違いしていて倉庫と倉庫の間のこげ茶建物か新しく出来たのかと思っていましたが、
その左隣の建物のようでした。

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(2015年)

↓中町界隈
以前は待合いだった建物は現在料亭として営業中(05年)。

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↓営業をしていない料亭風の建物。

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↓隙間からちょっくら失敬

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↓中町界隈は路地も石畳風に舗装され、八王子黒塀通りとして観光案内されています。

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↓此方の案内板には花街は中町、遊廓は田町ときちっと記載されていますね。

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2002年2月7日・2005年5月21日・2011年11月10日・2015年10月22日

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東京都・洲崎

東京の遊里跡洲崎を探索して来ました。
「全国遊郭案内」によると明治十二年に本郷根津から移転してきたもので、移転当時は僅か数十軒の仮宅だったが、何時の間にか洲崎遊郭と呼ぶようになり、全盛期では妓楼二百六十八軒、娼妓約二千五百人となったと記載されています。また、映画等でも川島雄三監督作品「洲崎パラダイス・赤信号」、坂東玉三郎監督作品「夢の女」の題材にもなっています。03年に初めて訪れて以来、暇を見ては訪れているのですが、今回「大賀」の取り壊し情報にて再訪してきました。
↓東京湾の埋立地に移転してきたもので、周りを掘割に囲まれた遊廓だけの町だった。「吉原大名、洲崎半纏」と言われたとおり、木場の職人衆の鳴らしたシマであり、戦後は赤線として洲崎橋を渡った西側を住宅地、東側をいわゆる赤線、特飲街にまとめられた。

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↓現在はアーケードになっている小売店の並ぶ商店街も、屋根、外壁を見ると赤線時代の建物である事がわかる。
タイル張りの円柱の柱、アーチ状の屋根等。

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↓アーケード(2012年)

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↓アーケード(2014年)
久々に再訪。取り壊された事はネットにて知っていましたが、
名残無く新しいマンションが建っていました。時の経つのは早いものです。

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↓東側通り(03年)洲崎遊廓は空襲で全焼。戦後は東側の半分だけが特飲街として残された。

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↓アパートとして現役の建物。ピンクの屋根、グリーンの豆タイルが綺麗(現存せず)。

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↓上の建物を入口付近からデジカメ(現存せず)。

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↓入口にピンクの豆タイルが残っています(現存せず)。

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↓当時は三つの扉を持つ建物だったと思われる建物。

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↓定食屋(03年)当時の外観をとどめている建物、1階は飲食店になっています(現存せず)。

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↓大賀(03年)現在「大賀」は選挙事務所になっていました(現存せず)。

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↓取り壊しの情報にて再訪。新しく新築戸建てが建設中でした。

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2003年3月6日・2010年6月15日・2012年2月4日

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東京都・鳩の街旅館桜井解体

墨田区鳩の街の旅館桜井の取り壊しが始まりました。

↓前回鳩の街を訪れたのは13年3月、その時点でガス元も切られていたので解体間近だと思っていましたが、13年10月24日解体が始まった様子です。09年の火災で一棟、13年3月に一棟、今回の旅館桜井解体で遊里の面影残す鳩の街の建物も数少なくなってきました(残るは二棟かな?)。

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↑↓解体に向け足場が組まれています。数日経つと防音幕が張られてしまうので、
原型留めるのもあと数日なのでしょうか。

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↓草木に隠れていたオフ‐リミットの文字もよく見えますね。

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↓お玄関が開いていたので一寸だけ中を覗いて見ました。

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↓室内解体は壁が崩され、玄関先の草木も無造作に放り込まれています。

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↓左側壁裏にお二階へ上がる階段がありました。

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↓見納めです。

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↓2010年火災後の一棟

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↓2013年3月に訪れた時は茶色タイルの建物解体中、現在は真新しい新築のお宅が建っていました。

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2013年10月24日




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東京都・池袋

東京の遊里跡、池袋を探索してきました。
赤線跡を歩く・青本、東京の小さな花街を歩く「池袋」では、池袋の花街は西口から徒歩十五分。トキワ通りの一本先の通り(三業通り)を入ってしばらく行くと、左手にぽつりぽつりと料亭が現れる。とある。
池袋は数年前に一度探索しましたが、アップする前に旧PC壊れ、画像はお蔵入りのまま消え去ってしまったらしい。数年ぶりの池袋三業通り、思いなしか料亭だったと思われる建物がマンションなどに変わってしまったような気がします。

↓三業通り入口辺り

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↓現三業通りには料亭らしき建物は殆ど残っていません。

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↓スナックにあった鑑札

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↓古そうな建物ですが、遊里跡名残ではないようです。
現地図には洋裁教室、昭和30年代だとクリーニング屋さんでした。

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↓三業通りから御嶽神社に向かう通り。
実際通り左側には料亭、芸妓置屋が軒を連ねていたようです。

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↓喜久屋さんは寿司屋だったと記載あり。
数年前はサッシではなかったような気がします。

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↓喜久屋さんの向かい側に池袋三業組合(会館)がありました。
現在は飲食店。

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↓細い路地に料亭がありますが、昼間だった為、現役かどうか分かりません。

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↓料亭の亭がひらがなの「料てい」

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↓マンション化された料亭。旧料亭、置屋は殆どマンションになってしまったようですね。
マンション名が梅が枝とか料亭の屋号を引き継いでいるのが唯一の名残。

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↓路地角に小さな祠、三社神社がありますが、昭和30年代の地図には載っていません。
多分、料亭内の祠を祀ったのでしょう。

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↓右手の駐車場はかつて「都川」という料亭だった。
祠もその一部と勝手に想像。

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↓御嶽神社。昭和30年代の地図では神社周りは殆ど置屋か料亭。
玉垣に名残を探しましたがありませんでした。

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↓御嶽神社前は道路拡張で空地のままですね。数年前と殆ど変わっていませんね。

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↓今回参考にしたのが昭和30年代の地図です。
御嶽神社、三業会館を中央に南北に分かれています。地図にて遊里跡探索をお愉しみ下さい。
著作権で怒られるかな?駄目だったら削除しますね。

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2012年5月20日

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東京都・新小岩

東京の遊里跡「新小岩」を久しぶりに探索してきました。
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↓JR新小岩駅よりアーケード街
「ルミエール」を抜けた辺りに料亭風の建物が数軒残っています。



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↓2003年撮影当時は駅からのアーケードを抜けた辺りにお寿司屋さんと総菜屋が並んでおり、
その裏側に料亭風の建物「三喜」がありました。

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↓2007年再訪、たまたま訪れたその日は「三喜」解体中でした。よくあるんです。解体中。

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↓玄関両脇の築山が残ります。解体中の三喜の路地はまだ舗装されていません。

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↓覆ってあるテントの隙間から玄関丸窓をデジカメしました。

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↓同じく玄関「山喜」の屋号跡です。

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↓唯一残る路地裏のスナック

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↓新小岩界隈駐車場も多くなりました。解体現場を望みます。

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↓2012年2月5日、5年ぶりに新小岩界隈を探索。三喜跡地は路地舗装はされていましたが、更地のままの状態です。

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↓お惣菜屋とスナックの建物は駐車場に、お隣の御鮨屋さんは別のテナントになり、御鮨の文字は取り除かれ、白く塗られています(07年)。

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↓03年の寿司屋は立ち食いそば屋になり。

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↓お隣の建物は07年時と変わらず駐車場でした。

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↓新小岩駅前から伸びるアーケード街ルミエールと平行して「仲通り」があります。

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↓仲通りの路地にはスナックや旅館が軒を連ねています。

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↓仲通りにある旅館

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2003年1月16日・2007年7月19日・2012年2月12日

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東京都・吉原

東京の遊里跡、吉原を探索してきました。
此所は言わずと知れた花のお江戸の歓楽街。余計な説明はなしとして、2003年の探索から現在までをまとめてみました。中々現役場所は人目が気になり思うように探索できませんが、一瞬の隙を狙ったデジカメです。画像斜め、ピントボケはご了承ください。
日本堤から曲がりくねった五十間通りを歩くと「大門」に着く。
↓見返り柳がお出迎え。

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↑↓この柳は昭和になってから植え替えられた物のようです。
初めて訪れた時はまだ冬だったので枯木立、再訪時はスタンドがセルフに変わっていました。

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↓見返り柳の碑

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↓この風景は現在も変わりません(03年)。

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↓1階のホール部分を車庫にしている建物が多かったような気がします(03年)。

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↓伏見通り、江戸二通りの地図(赤線時代)。モリヤ荘、プリンセス、マスミの位置関係が分かります。

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↓伏見通り、江戸二通りの地図(現在)。此方の「吉原古今津図」は2500円で売っています。
江戸、明治、戦前、戦後、現在の地図です。ちょっと高かったのですが、思い切って購入しました。

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↓吉原探索で一番探索しやすいのは伏見通り。其れなりに名残があって、現役ソープもありません。
転業アパートの金井荘(現存せず)。

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↓転業したアパートが三軒並ぶ伏見通り、手前の一軒金井荘は現存せず。

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↓金井荘は取り壊され空地になりました(07年)。

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↓伏見通りの建物「マスミ」の屋号が残ります。

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↓2010年探索で見つけた廃業した旅館。

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↓2012年探索です。中々現役街路地に入れず今まで気がつきませんでした。

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↓「赤線跡を歩く・赤本」にも登場する凸凹に沿って色が塗り分けられた建物。今回初めて場所確認です。

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↓三方をソープに囲まれた休業中の「坂井旅館」は堂々たる和風建築。見事なのだけどデジルのは中々難しい。

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↓牛太郎が気になるが、玄関窓越しに覗いたり暫く眺める。

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↓03年時に見つけ、それ以来見つけることが出来なかった建物です。03当時は前が空き地だった。

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↓現在は新築のお宅に埋もれ見えなくなっていました。

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↓駐車場から眺める建物は、木造のうなぎの寝床のように奥行きがあります。

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↓余り目立ちませんが「白菊」の建物。古今図にも載っていました。

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↓中央部分に豆タイル装飾があります。

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↓2010年にお歯黒どぶ痕跡を求めて探索。道路がどぶだとすると石段で高低差がありますね。

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↓綺麗に舗装されてしまうと名残もなくなってしまいます(2012年)。

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↓吉原弁財天

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↓新吉原カフェー喫茶組合の文字

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↓新吉原芸妓組合、料亭組合の文字が読めます。

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2003年3月17日・2006年1月26日・2007年7月19日・2009年3月12日・2010年6月15日・2012年2月4日

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東京都・板橋仲宿

東京の遊里跡、板橋宿を探索してきました。

↓石神井川にかかる橋。この橋の名が江戸時代以降の宿名になっています。何度も架け替えられ、現在の橋は昭47年に架け替えられたもので、コンクリート製である。

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中山道の宿場町、板橋仲宿は過去3回訪れていますが、今回は再開発その後で探索をしてきました。
↓08年から4年が経ち旧道裏の路地裏は高層マンションに変わっていました。正面旧道沿いの銭湯。

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↓08年だと風呂屋の煙突が見えます。

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↓殆どの呑み屋街は解体されてしまいましたが、昭和の面影残す一画だけはそのまま残っていました。

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↓03年の風景

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08年再開発解体が始まりました。↓

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↓板橋観光センターの向かい側の建物もそろそろ解体のようです。

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↓この界隈は板橋仲宿で最も栄えた場所、板橋遊郭中最大の規模を誇った新藤楼。木造三階建て唐破風造り明治築、玄関だけは区の資料館に保存されています。

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↓現在の旧新藤楼があった場所。

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↓板橋区立郷土資料館に新藤楼玄関が保存されています。
玄関だけを見るとちょっと間抜けした感じもありますが、修復保存は良いことですね。

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↓真言宗豊山派の寺院。本尊は文殊菩薩。本堂の脇から墓地に入ると遊女の墓がある。

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その他、板橋宿には飯盛女(遊女)に纏わる史跡も多く残る。
↓文殊院の遊女の墓。

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↓遍照寺の「千代本楼遊女道中扁額」もあるが、堂内にあるので一般は見ることが出来ないようだ。

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↓観明寺境内の玉垣に楼閣の屋号が刻まれていました。

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2003年3月15日・2008年2月21日・2012年2月18日

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東京都・玉ノ井

スカイツリー効果で活性化しつつある東京城東地域、玉ノ井を再訪してきました。

戦前は玉の井、戦後は鳩の街。小説や映画の舞台になった色街は現在の東武東向島駅をはさみ南北に分かれています。玉の井は大正7、8年頃より許可がおり、震災後には浅草等から移って来た業者により、玉の井駅の東側の田圃が埋め立てられました。 玉の井名物ラビラント(迷路)「この道抜けられます」「ちかみち」はもともと湿地帯だったところに、各人が勝手に家を建てた為、迷路のような路地が出来上がったと言われています。
現在の玉の井は東向島駅から高架沿いに鐘ヶ淵方面にしばらく歩き、いろは通り商店街に入ります。
戦前はその右側が「抜けられます地区」。戦後は全焼した右側の区域に代わり、北側の辛うじて焼け残った住宅を利用して再開されましたが、昭和33年の売春防止法成立により次第に姿を消していきました。今ではその大半が住宅、マンションに建て替えられましたが、わずかに当時の建物をそのまま使っている家々やスナック、飲み屋にその名残りがあります。

玉ノ井を初めて訪れたのは2001年で、知り合いから教えてもらった木村聡著「赤線跡を歩く」を読み、何故かカフェスタイルの豆タイルに心惹かれたのが跡探索をの始まりだった。
↓此方の建物は06年探索時に撮影。現在は残っていない。

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↓戦後の赤線時代の玉ノ井、目抜き通りだった通りには現在も3軒のスナックが並んでいます。

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しかしながら、向かい側は更地になっていました。

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↓三軒並ぶスナックも一軒は休業中のようです。数年前の画像ではスナック花月でした。現在は白看板。
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数年ぶりの玉ノ井探索ですが、界隈を隈無く歩くとまだまだ新しい発見もありました。
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↓此方のスナックは石のような壁紙で外壁リフォームをされている。

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↑よく見ると壁紙が剥がれ、縁取りにグリーンのタイルが見えます。鑑札は「簡易料理店」。
路地裏界隈。↓

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↓此方のお宅は玉ノ井のランドマーク的建物ですね。以前TVオンエア、アド街「東向島」でも12位で紹介されていましたね。
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↓2001年探索時に見つけたお宅も忽然と姿を消してしまいました。

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2001年12月20日・2006年7月27日・2012年2月17日

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