花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

東京都・荒木町

東京新宿の遊里跡、荒木町を探索してきました。



久しぶりにお散歩して来ました。

2003年9月11日・2017年11月12日

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東京都・新宿2丁目

東京の遊郭跡、新宿2丁目を探索してきました。




2017年久々プチ探索。


2004年から08年の副都心線開通まで、新宿2丁目でなくなった建物あれこれです。
スライドショーにしてみました。



岩稲荷田宮神社,、玉垣に残る三業組合の銘。

2003年2月10日・2011年2月19日・2017年11月12日

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東京都・北千住

東京・北千住の投げ込み寺「金蔵寺」を散策してきました。



2017年11月12日

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東京都・立川

東京の遊里跡、立川を探索してきました。



スライドショーにまとめてみました。


↓駅の北側の高松町。通称シネマ通りの町並み。

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2006年8月11日

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東京都・新小岩

東京の遊里跡「新小岩」を久しぶりに探索してきました。



2003年1月16日・2007年7月19日・2012年2月12日・2017年10月4日

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東京都・立石

東京の遊里跡、立石を探索してきました。




2017年再訪。

亀戸で罹災した業者の一部が移転してできたシマで、戦時中の昭和20年6月に民家を改装して営業を開始されたという。終戦後は進駐軍向けの慰安施設(RAA)に指定された(赤線跡を歩く・赤本記載)。
↓立石を最初に訪れたのは2004年でした。今回8年ぶり再訪。駅前再開発反対ののぼり旗が随所に経っているが、駅前の町並みが殆ど変わっていないのには少々驚いた(04年画像)。

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↓立石界隈の町並み(2012年)

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2004年4月29日・2012年2月17日・2017年6月12日

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東京都・新宿ゴールデン街

東京の遊里跡、新宿ゴールデン街を探索してきました。

2017年再訪。

ビデオ「近代庶民生活誌・赤線」によると、新宿犇めく歓楽街の中で一箇所の赤線と八箇所の青線と紹介されています。赤線は勿論新宿遊廓の名残で、現在の新宿2丁目、といっても戦災に遭っているのでエリアとしてはもっと東側、末廣亭から現2丁目の三社稲荷神社(現存せず)までが赤線に囲まれた範囲だった。
このゴールデン街は許可されていない所謂「青線」で、通り名が「カンラク街」と「花園街」に分かれている。
建物自体は戦後のバラック造りのまま現在に残されています。

2010年にお借りしていた(店舗シェアリングで毎日店長が替わります)ゴールデン街店舗内部をちょっぴり紹介します。内装は多少変わっていますが、赤線時代の造りがそのまま受け継がれています。

↓2010年の新宿ゴールデン街の町並みと旧あんよ(現・無銘喫茶)の店内。
1階はバーカウンター。かなり年季がはいっています。良く言えばレトロな雰囲気のバー。

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↓入口から2階へ上る階段があり、現在冷蔵庫が在る場所は覗き小窓があったかも知れません。
しかしながら、不思議なことに他の店舗は1階と2階に分かれて別々の店舗があります。
元々此所には壁があったようにも思えます。

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↓2階から1階を見ます。

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↓2階の部屋です。3階へ上がる階段があります。

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↓以前は襖か障子が入っていたのでしょうか?

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↓3階から2階を見ます。現在は倉庫になっていますが、2階が居住空間で3階がいわゆる「ちょんの間」なのでしょうか?

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2010年6月4日


↓2006年のゴールデン街の町並み。店舗屋号は変わっても町並みは殆ど変わっていません。

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↓ゴールデン街にも数店の店舗で簡易料理店の鑑札を見ることが出来ます。

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↓昭和30年代の新宿界隈地図

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2006年11月9日

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東京都・伊豆大島

伊豆大島の遊里跡、波浮港を探索してきました。
今回の大島も前もっての遊里跡情報は入手せず、行き当たりばったりの路地裏探索でした。

大島は2度目で前回は熱海よりジェットホイルの日帰り大島。
滞在時間が3時間くらいと短かった為、岡田港到着~元町港散策含む温泉だけで終わってしまい、遊里跡、スナック街等は何もないのだなと言う印象でした。

今回は竹芝桟橋より22時出港のさるびあ丸での大島入り、
翌朝6時に着き、14時半同じ船で東京に戻る行程です。

↓竹芝桟橋さるびあ丸

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↓翌朝6時に大島岡田港到着
深夜便の時間にあわせ大島バスの臨時便があるようです。
元町港まで360円
(島内は全てバス移動なので、1日フリーパス2000円がお得かも知れません。バス車内で購入出来ます。)
因みに元町を起点とすると、
岡田港~元町港 360円 元町港~波浮港 680円で、各ルート往復するだけでフリーパスの方がお安い計算になります。
バスは大体1時間に1本の割合ですね。

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早朝着き、まだ店舗も殆ど開いていないので大島のマップを眺める。
(時期的に寒い時期はきついかも知れません。コンビニもありません。)
早朝時間を潰すとすれば、深夜便到着日に6時半から営業している元町港「御神火温泉」で暖まるのが良いかと(早朝料金500円・ロッカー100円)。

そうすると波浮港に「踊子の里資料館」となる物を見つけた(9:00~16:00・無料)。
かつては賑わっていた港町の旧港屋旅館。何か期待が持てそうな雰囲気ですね。

↓波浮港バス停から伸びる路地はとても良い雰囲気です。

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↓徒歩5分程で「踊子の里資料館」に到着します。
この路地がとても良かったのですが、詳しくは後ほど。

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↓誰もいない館内、ちょっとお邪魔します。
明治築で大正時代の増築とありますが、登録有形文化財の指定にはなっていない模様。
老朽化も拒めません。階段も含め全体的に傾いているんです。
階段は正面の大階段と左側に小階段のふたつ。小階段は立入禁止になっています。

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↓館内入るとテープが流れますが、
港屋旅館あらましを眺めます。

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↑↓大階段を上ってみると、3階へ続く階段と大広間の廊下ですね。

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↓大広間(襖を入れると三部屋)では宴会中。妙にリアルな蝋人形です。

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↓そして、此の踊子さん動くのです。
スイッチを押すと音曲と共にガシガシ動くのです。

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↓長い廊下の突き当たりには一階へ下りる階段。
一階の広間でも宴会中。

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↓旧湊屋旅館、結構愉しめました。
そろそろ宿を後にしましょう。
来た道を戻りますが、港町路地からも港屋旅館を望みます。

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↓路地の1軒、廃屋ですがとても気になる建物がありました。

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↓木造三階建てですね。

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↓遊里跡などでよく見られる窓枠。
よく見るとお玄関はふたつ。左側ひとつは木材で塞がれているようです。

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↓扉が開いていたので、ちょっとだけ失礼します。
かつてはお寿司屋さんだったのでしょう。カウンターの上には寿司ネタケース。
でも、よく見ると寿司屋としてはどこか和洋折衷。
寿司カウンターはバーカウンターの様にも見えます。

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↓お二階へ上がる階段の照明、とても素敵です。
お寿司屋になる前はカフェだったのでしょう。

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↓天井にはかつて此所にシャンデリア?がありました。と言う名残が。

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今回は思いもがけぬ建物に出会えてとても満足でした。
帰宅後サイトにて「伊豆大島 遊廓」で検索してみたら、
過去に行かれた方がいましたね。
2010年だったので5年前位。
その5年の間だ結構劣化も進んでいると思われます。

↓オマケ・帰路の船上からの大島。

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2015年10月29日

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東京都・八王子

東京都の遊里跡、八王子を探索してきました。
八王子遊廓の歴史はもともと宿場町だったこともあり、江戸時代には街道沿いの横山町、八日町に遊女屋が建ち並んでいたことが始まりとされています。
現在残る八王子田町遊郭跡は明治30年の大火により全焼してしまった街道沿いの遊女屋を市の北側の淺川沿いの一画に集められ、明治、大正、昭和と平均建坪200坪という大店が幅二十間の道に建ち並んでいたといわれています。
現在では大門通りに面した広大な敷地は倉庫や工場などに生まれ変わっていますが、唯一戦災を免れた八王子遊廓、現在も数軒残っている戦前の建物に当時の様子が伺えます(02年)。

2015年10月、ちょうど八王子に行く機会がありましたので、
一寸だけ覗いてみました。

↓田町界隈、大門の在った場所

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↓田町界隈の町並み(02年)

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↓かつては旅館か料亭だったと思われる建物。
残念ながら2014年1月17日火災の為焼失してしまいました。
「八王子 田町火災」で検索すると当時の模様がヒットしますね。

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↓2015年再訪。

↓田町界隈05/02/10

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↓現在は貸倉庫になっていました(05年)。

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↓2011年再訪。田町の一画は殆ど変わりはありませんでした。

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(2011年撮影・2014年火災の為焼失)

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(2011年)

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(2011年)

↓唯一名残を残しますね。

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(2015年)

↓火災の跡地はすっかり変わり、新しい建物が建っていました。
勘違いしていて倉庫と倉庫の間のこげ茶建物か新しく出来たのかと思っていましたが、
その左隣の建物のようでした。

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(2015年)

↓中町界隈
以前は待合いだった建物は現在料亭として営業中(05年)。

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↓営業をしていない料亭風の建物。

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↓隙間からちょっくら失敬

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↓中町界隈は路地も石畳風に舗装され、八王子黒塀通りとして観光案内されています。

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↓此方の案内板には花街は中町、遊廓は田町ときちっと記載されていますね。

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2002年2月7日・2005年5月21日・2011年11月10日・2015年10月22日

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東京都・洲崎

東京の遊里跡洲崎を探索して来ました。
「全国遊郭案内」によると明治十二年に本郷根津から移転してきたもので、移転当時は僅か数十軒の仮宅だったが、何時の間にか洲崎遊郭と呼ぶようになり、全盛期では妓楼二百六十八軒、娼妓約二千五百人となったと記載されています。また、映画等でも川島雄三監督作品「洲崎パラダイス・赤信号」、坂東玉三郎監督作品「夢の女」の題材にもなっています。03年に初めて訪れて以来、暇を見ては訪れているのですが、今回「大賀」の取り壊し情報にて再訪してきました。
↓東京湾の埋立地に移転してきたもので、周りを掘割に囲まれた遊廓だけの町だった。「吉原大名、洲崎半纏」と言われたとおり、木場の職人衆の鳴らしたシマであり、戦後は赤線として洲崎橋を渡った西側を住宅地、東側をいわゆる赤線、特飲街にまとめられた。

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↓現在はアーケードになっている小売店の並ぶ商店街も、屋根、外壁を見ると赤線時代の建物である事がわかる。
タイル張りの円柱の柱、アーチ状の屋根等。

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↓アーケード(2012年)

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↓アーケード(2014年)
久々に再訪。取り壊された事はネットにて知っていましたが、
名残無く新しいマンションが建っていました。時の経つのは早いものです。

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↓東側通り(03年)洲崎遊廓は空襲で全焼。戦後は東側の半分だけが特飲街として残された。

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↓アパートとして現役の建物。ピンクの屋根、グリーンの豆タイルが綺麗(現存せず)。

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↓上の建物を入口付近からデジカメ(現存せず)。

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↓入口にピンクの豆タイルが残っています(現存せず)。

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↓当時は三つの扉を持つ建物だったと思われる建物。

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↓定食屋(03年)当時の外観をとどめている建物、1階は飲食店になっています(現存せず)。

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↓大賀(03年)現在「大賀」は選挙事務所になっていました(現存せず)。

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↓取り壊しの情報にて再訪。新しく新築戸建てが建設中でした。

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2003年3月6日・2010年6月15日・2012年2月4日

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