花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

宮崎県・宮崎

宮崎県の遊里跡、旧恵比寿町を探索してきました。

↓駅前より高千穂通と平行するアーケードを進むと、現宮崎の歓楽街西橘通に辿り着きます。
南北に平行する中央通りと共に呑み屋街が軒を連ねています。

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(14年)

↓西橘通、中央通の南端辺りが旧恵比寿町界隈、ソープランド等が風俗系店舗が点在していました。

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(05年)

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(14年)

↓スナック街には豆タイル装飾の建物も残っていました。
かつては美容室だったようです。(現存せず)

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(05年)

↓旧恵比寿町のスナック街。
スナック街と言うよりも○○の間といった感じが強いですね。

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(05年)

↓テント屋号がなくなり、生活感も感じられなくなっていました。

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(14年)

↓旧恵比寿町の路地裏(現存せず)。

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(05年)

旧恵比寿町とは別に大淀川畔小戸之橋袂に吾妻新地という遊里が在り、戦後の赤線という経緯を辿っていますが、
現在は歓楽色の名残はありませんでした。
道路沿いには宮崎リゾート温泉として観光ホテルが建ち並んでいます。

↓その中の一軒のお宿。05年に訪れた時は石造りの塀と門に囲まれていました。

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(05年)

↓14年再訪。塀は取り払われ駐車場になっていましたが、通用口だったと思われる石門は販売機置き場の枠組みに再利用されていました。微妙にバス停の位置も変わっていますね。

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(14年)

↓オマケ
今回の宮崎行きの行程は新幹線にて京都入り、
丸1日京都紅葉を満喫し、夕刻神戸から宮崎カーフェリーにて宮崎入りでした。
帰路エアも先得なので比較的リーズナブルな探索旅でした。

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2005年7月13日 2014年12月4日

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宮崎県・日南市飫肥・油津

宮崎駅より日南線にて飫肥、油津と探索してきました。時刻表が薄いのが難点ですが、
海沿いを走る日南線は気持ちが良いです。
↓飫肥駅より一般的な観光、飫肥城へは駅より1.5キロ程の距離。飫肥城へ行く途中、飲み屋街の在る一画を見つけました。
飫肥に関する遊里跡の情報は事前には全くなく、一般観光目的として飫肥を訪れたのですが・・・。
宮崎発8:54→飫肥着10:08(08年1月)

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↓飲み屋街の中に1軒の旅館がありました。

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↓一般観光ルートの綺麗に整備された武家屋敷の通りや飫肥城よりも、毎度の事ながら路地裏探索がちょっぴり毒があって面白いです。

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↓現在は飲食店ですが、旅館のような建物です。

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↓飫肥界隈

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↓飫肥で見つけた鑑札

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油津界隈
↓飫肥より油津までは日南線で10分。
油津は「男はつらいよ・寅次郎の青春」で寅さんも訪れた場所。堀川橋(明治36年・登録有形文化財)の袂に風吹ジュン が営む理容室が在りました。
飫肥発11:51→油津着12:05(08年1月)

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↓町の案内板で見つけた戦前の古写真

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↓飫肥杉とマグロで栄えた油津は登録有形文化財も多く、杉村金物本店(昭和7年)もその一つ。
木造3階の建物は1階が店舗。2・3階が住居になっています。

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↓駅前にはスナック等の飲み屋が意外に多くある。全国遊里案内ではまだ油津まで鉄道は引かれておらず、内海駅より南へ五里とある。遊郭のあった時代の貸座敷は港側で、船の旅行者か船員が主な顧客。鉄道が引かれてから駅前が町の中心になったと思われます。

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↓町の中心に在る「日南子旅館」は外壁リニューアルはしてあるものの昭和8年築の木造3階建て。素泊まりで格安に宿泊できるようです。

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↓日南子旅館を裏から見てみました。まわりは空地、駐車場になっています。

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↓油津で見つけた鑑札、油津からの上り列車は13時、14時台は無い。
従って3時間余り油津で過ごすことになってしまいました。
油津発15:02→南宮崎着16:18(08年1月)

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2008年1月17日




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宮崎県・美々津・延岡・日向市

宮崎県の遊里跡、美々津、延岡、日向市の町並みを探索してきました。
1日目は日豊本線美々津、延岡、細島の順に効率よく探索。18きっぷ利用です。

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↓美々津の町並み

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↓廻船問屋「河内屋」。現在、歴史資料館となっています。

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↓美々津まちなみセンターと美々津軒(明治10年~20年頃に建てられた町家)が並び、お休み処として公開されています。

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↓美々津軒

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↓明治末から大正初期の遊興の場であった場所を示す古写真を資料館で見つけることが出来ました。

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↓現在の立磐神社鳥居前(古写真と同じ場所)。脇石垣辺りに当時の建物が在ったと思われます。

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↓美々津の町並み。正面に美々津港を望み、海軍発祥之地記念碑があります。碑の左側が立磐神社。

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延岡界隈
↓全国遊郭案内によると延岡の遊郭跡は岡富新地と在る。駅より東南へ約1キロ弱。現地図でいう岡富界隈を歩いてみたが、当時の名残を見つけることが出来なかった。
近くに花柳界のあった紺屋町、博労町がある。
某サイトで見つけた紺屋町の絵はがきによると、料亭風の建物の前に女性が並び、人力車もある絵はがきだった。画像は博労町で見つけた小路。

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↓飲食店が並ぶ小路。貸店舗も目立ちます。

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↓建物に残る豆タイル。以前の建物が何だったかは分かりませんが、「豆タイル」過敏に反応してしまいます。

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細島界隈
↓細島は日豊本線日向市駅より東へ3キロ。全国遊郭案内によると妓楼は四軒、四十名とある。
高島屋旅館は木造三階建で大正10年(1921年)の建築。現在は「細島みなと資料館」として公開されています。

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↓細島到着は午後3時をまわっていた。来館者は私ひとり。親切に係の人が館内を説明してくれました。

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↓係の人に聞いた話によると、高島屋旅館の辺りは当時旅館街で、向側の坂を上った界隈に置屋があった。中程に八坂神社があります。

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↓豆タイルと同じく玉垣の奉納の文字に反応してしまいます。何となく「藝」の文字が読み取れるような違うような・・・。

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↓ぎおん旅館

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↓細島界隈は殆ど住宅街になっていますが、資料館の在る一画が商店街として残っていたようです。

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2008年1月16日

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