花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

佐賀県・嬉野温泉

佐賀県の遊里跡、嬉野温泉を探索してきました。
「よるの女性街・全国案内版」によると、芸妓四十二名。赤線八軒三十一名とある。
江戸時代には長崎街道の宿場町と栄え、多くの往来があったという。
実際温泉街を探索していると温泉街の中に見番もあり、下宿の方は歓楽街が形成されている。
↓嬉野川を挟み五十軒近くの旅館が軒を連ねる。正面の洋館は公衆浴場「シーベルトの湯」

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↓見番

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↓見番のある通り

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↓温泉街の中心部、鄙びた旅館が向かい合ってあります。
此所はシーベルトの湯の入口でもあり、無料の足湯もあります。

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↓屋号を囲むネオン管が素敵です。

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↓温泉街の外れ、下宿界隈は歓楽色が強くなってきます。
案内版の赤線八軒というのは、この界隈の事を指すのでしょう。
現在はソープ街になっているようです。

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↓玄関周りの扉が中々渋いです。

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↓商業地図
温泉街は温泉一区、二区、下宿と分かれているようです。

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2012年4月24日

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佐賀県・佐賀

佐賀県の遊里跡、佐賀を探索してきました。
夜の女性街・全国案内版によると、葉隠の佐賀市はまったくうま味のない街。芸者も繁華街の松原町辺りにおり、赤線も東佐賀駅に近い今宿橋を渡った新地二箇所総計一五〇名程度の女性がいるが余り薦められない。と記載され、それより、松原神社周辺の呑み屋の方が面白い遊びが出来るともある。

↓長崎街道佐賀宿、近代庶民生活誌佐賀遊廓に記載されている、北川副村、今宿町界隈には当時の面影を見つける事が出来ませんでしたが、長崎街道に当時の名残りこ残す思案橋(新しく架け替え)が残っていました。

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↓佐嘉神社、松原神社界隈の町並み

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↓佐嘉神社裏手の呑み屋街
松原親和通りとなっていました。

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↓親和通りはまるで迷路のように呑み屋街が軒を連ねていますが、
空き地も多く、再開発の対象になりつつあります。

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↓松原町界隈に在った旅館玉荘、お玄関まわりは洋風ですが、間口が狭く奥行きが深い、うなぎの寝床のような造りになっています。

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2007年6月28日





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佐賀県・武雄温泉

佐賀県の遊里跡「武雄温泉」を探索してきました。
↓武雄温泉街へは武雄駅より1キロ弱の距離で、江戸時代には長崎街道の宿場町とされていました。

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↓温泉街の中心に武雄温泉共同浴場(楼門、新館共に国重要文化財)があります。
この楼門は東京駅を設計した辰野金吾氏設計。大正3年に造られました。

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↓新館は武雄温泉資料館になっており、当時の様子を見ることが出来ます。
武雄温泉の歴史は古く、湯女はかなり昔から居て湯治客を慰めていたとされています。
楼門のお隣にはソープも在りました。

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↓武雄温泉新館内部

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↓武雄温泉通りから楼門を望みます。
老舗旅館は温泉通りと楼門近くにあり、近代庶民生活誌の武雄温泉に記載されている貸座敷は七軒、現在の残る同じ屋号の旅館は「旅館花月」があります。

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↓温泉通りからの脇道には、スナックなどの飲食店が軒を連ねています。

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2007年6月27日

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佐賀県・唐津・呼子・多久

佐賀県の遊廓跡「唐津」を探索してきました。
↓唐津は05年に訪れ、今回は唐津再訪と呼子を探索(2011年)。
唐津の料亭跡は更に廃墟率がパワーアップ。カフェの鑑札も見つけることが出来ました。

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↓遊里跡には猫が似合います。

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↓木綿町界隈(05年)

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↓木綿町界隈(11年)

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↓木綿町界隈(05年)

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↓唐津二の門堀界隈(05年)

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↓11年再訪時に見つけた「カフエ」の鑑札。

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佐賀県呼子。全国遊廓案内によると呼子遊廓は、妓楼14軒、娼妓130人とある。
遊里のあったのは朝市などで賑わう呼子町対岸の殿ノ浦町(ウキペディア)とされています。
船に乗せて近くの加部島や名護屋に連れ泊めるともある。
 
↓朝市で賑わう呼子町界隈の路地裏。

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↓営業をしていない銭湯。

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↓入口付近に豆タイル装飾がしてあります。

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↓木造三階建ての旅館。休業中のようでした。

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↓対岸の殿ノ浦界隈の町並み
呼子町に比べ廃業したホテル、旅館が目に付きました。

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↓廃屋になったホテルのようですね。

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↓唐津より唐津線で40分ほどの多久、遊里跡ではないと思われますが、
駅前には昭和の名残のこる建物が残っていました。

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↓駅前再開発のようで空き地も目立ち、商店は休業中のようでした。

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2005年9月7日/2011年5月9日



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