花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

長崎県・丸山

長崎の遊廓跡、丸山を探索してきました(03年・12年再訪)。
↓料亭「花月」は丸山随一の妓楼引田屋の庭園にあった亭の名、
県指定史跡に指定されています。

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↓長崎東検番、検番手前路地より「長崎ぶらぶら散策コース」になっています。

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↓左上の建物が料亭青柳

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↓かっての妓楼が残る路地。

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↓長崎ぶらぶら散策コース、検番路地より梅園天神へ向かう坂道。

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↓梅園天満宮鳥居前

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↓軒燈

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↓中の茶屋。丸山の遊女置屋筑後屋が茶屋を設けていた。
江戸時代中頃に築かれた庭園として長崎市指定の史跡になっています。

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↓梅園身代わり天満宮。長崎丸山町の氏神様として親しまれている。
元禄13年(1700年)に創建され、花街に隣接していたことから、遊女や芸者が参拝した。
03年1月下旬幸運にも梅が満開でした。

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↓茂木街道

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↓正覚寺駅裏路地のレトロな銭湯、営業しているのかな?

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↓丸山町と隣り合わせの寄合町の本通り、唯一アパートとして現役中の建物。
入口には「貸室あり」の貼り紙がありました。

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↓寄合町で見つけた銭湯。

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2003年1月22日

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長崎県・思案橋小路

長崎県の遊里跡、丸山思案橋、銅座を探索してきました。
丸山町を初めて探索したのは2003年の1月、それ以降長崎には数回訪れているが、
思案橋、銅座界隈の呑み屋街を探索したことはなかった。
午後になると人の流れも多くなり、酒屋などの搬入も入る。
宿泊地を長崎にしないと早朝探索が難しいです。
「よるの女性街・全国案内版」長崎<青線>らんでは、丸山の入口周辺に密集したはもにか長屋ののみ屋街、一軒に約二名の女がいて百軒近い盛況。とある。
現在でも思案橋から銅座にかけて呑み屋街が軒を連ねています。
↓思切り橋、見返り柳

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↓呑み屋街の案内版、実際に探索すると迷路のようです。

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↓柳小路を探索すると、早朝にもかかわらずまだカラオケの音が聞こえてきました。
早朝探索は昨夜からの居残り組と通勤通学の方々の往来との僅かな時間帯なのです。

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2012年4月24日


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長崎県・出雲

長崎県の遊里跡、出雲を探索してきました。
長崎には丸山町と並ぶ遊廓が出雲町に在った。長崎電車石橋電停徒歩10分の坂道、「全国遊廓案内」によると、貸座敷九軒、娼妓八十五人と記載されている。明治26年の設立で、遊廓としては比較的新しい。市内の分散していた私娼の風紀を取り締まる目的だったという。

↓この暗渠化されている道路も以前は川であり、
川両側に妓楼が建てられていたという。
現在は妓楼もマンションになり、当時の面影はない(03年)。
此所からの風景は「赤線跡を歩く・青本」出雲でも紹介されていますね。
中央に小松楼が廃屋で写っていました。

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↓唯一当時の面影を残す建物。
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↓倒壊寸前の建物(A)

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↓数年前まで倒壊寸前の大店「小松楼」が残っている写真もあったが、
現在は取り壊され外壁と中庭にあったと思われる竹林が残る。

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↓小松楼通用門跡

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↓当時小松楼は部屋数四十五、
三十畳敷きの大広間もあったという三層楼の大店だった。

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出雲再訪
2012年4月長崎県の遊里跡、出雲を探索してきました。
夕刻ちょっと時間があったので、出雲界隈を探索。道路の拡張のせいもあってか、名残無く9年前に訪れた場所との比較も中々難しい。多分そうであっただろうと思う風景を数枚撮ってきました。

↓廃屋のあった辺りは道路拡張ですっきりと、向かい側の「大島たばこ店」は現在の地図サイトには記載されているものの現存せず。新しいお宅に建て替えられていました。右手前の路地を入っていくと小松楼の塀があったような気がします。

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↓(A)の廃屋のあった辺りと思われます。

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↓地図サイトと比べてみても、この通りが遊里跡だったことは確かなようでした。
此方の2棟のマンションが最初の訪れ、青本にも写っています。

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↓何となく名残を思わせる煉瓦塀。

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↓駐車場になっていますが、ここにも何となく名残のようなものが・・・。
断定はできませんのであくまでも想像です。

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2003年1月23日・2012年4月23日

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長崎県・雲仙小浜

長崎県の遊里跡、雲仙小浜温泉を探索してきました。
「よるの女性街・全国案内版」によると、小浜温泉、転び芸者六十名が手ぐすね引いて待っている。料亭が十一軒。ほかに食堂と称する小料理屋が二十四軒、そこに酌婦六十名と記載されている。まあ、よくありがちな温泉街の親切らんですが、現在は殆ど歓楽色はありませんでした。
↓国道沿いには温泉旅館、ホテルが軒を連ねます。中でも目を引くのが春陽館さん。
木造三階建て唐破風の門構えは立派な佇まいです。

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↓しかしながら探索の愉しみはやはり路地裏です。
国道と平行する山側の路地には食堂、スナックなどが並びます。
此方のコの字型の旅館は営業をしていない様子でした。

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↓路地から山側に行く道にはスナックが並びます。

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↓此方の路地を上って行くと、趣の在るお宅が二棟並んで建っていました。

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↓中々良い雰囲気を醸し出しています。

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↓以前は旅館だったのかな?

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↓オマケ・波の湯「茜」
遊里跡探索は程々に小浜温泉にざぶん。満潮時は海面との差20㎝だそうです。
運良く貸切、因みに「荒天等の場合は入浴できません」は頷けます。

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2012年4月23日

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長崎県・佐世保・戸町鶴海

長崎県の遊里跡、佐世保・戸町鶴海を探索してきました。
↓地図サイトによると、佐世保勝富遊郭があった高天町、勝富へは佐世保駅より約1キロほどの距離です。

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↓国道35号を挟み、町並は緩やかな上り坂になっています。
勝富遊郭跡の情報は「近代庶民生活誌・14」「赤線跡を歩く・青本」と地図情報のみの探索です。
青本も数年前に撮影されたものですし、現在どのようになっているのかは分かりません。

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↓「跡」の手がかりとなる、一軒の旅館を見つけることが出来ました。

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↓「赤線跡を歩く・青本」74ページ右上、交差点付近の現在です。

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↓青本、左上の建物。ブルーの瓦と蘇鉄、木の位置は変わっていません。

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勝富町を探索後花園町へ。
花園町は戦災で全焼し、現在は市民会館、住宅街となり「跡」の名残りは全く残っていませんでした。

戸町界隈
↓長崎県戸町遊廓跡へは長崎駅より約4キロほどの距離です。
さすがに歩くことは出来ないので、駅よりバスを利用しました。

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↓戸町バス停から旧道を探索します。

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↓「赤線跡を歩く・青本」に在る、ブルーに外壁処理された木造三層楼の建物は在りませんでした。このディスカウントストアの同場所と思われます。

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↓青本に載っている「調髪館」は閉店していました。

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↓青本73ページ、右上の写真(販売機の位置が同じです)。遊郭だった通りが尽きるあたりとありますが、今回は旧道を戸町番所まで歩く事にしました。

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↓風光明媚な長崎港を望む港町。大波止から小舟に乗って戸町を目指すルートもあったようです。

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↓旧道を一周しました。梅雨の晴れ間、日差しも強くヘトヘトです。

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2007年6月27日

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長崎県・大村・早岐

長崎県の遊里跡、大村、早岐を探索してきました。
エア&ホテルで長崎入りの福岡帰り、JR切符は「長崎・ハウステンボスフリー切符」を利用しました。
長崎空港最寄り駅、大村から探索開始です。
09年早岐は再訪です。全国遊廓案内によると早岐遊郭は貸座敷四軒、娼妓三十名とある。早岐遊廓を検索すると「早岐神社から見た早岐遊郭月見町」がヒットし、月見町=田子の浦とある。
長崎空港から佐世保行きの空港バスに乗り、早岐田子の浦バス停で下車、その界隈を再探索してきました。
↓空港から路線バスで大村駅に向かいます。佐世保行きの列車待ち時間に大村の町並みをちょこっと探索。

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↓長崎街道大村宿。街道の路地裏には飲食街が在りました。

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↓飲食店街に在る美容室。両側が飲食店になっています。建物自体が木造家屋なので、この豆タイルは新しい造作なのか、以前からあった物を再利用したのかは分かりませんが、ピンクのテントと似合っています。

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↓早岐界隈(07年)
早岐は駅前に旅館が二軒、川沿いの小さな町でした。

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↓現在は営業をしていない旅館の本館(部分お肉屋さんで営業)。別館は駅前に在りました。

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↓早岐界隈

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↓田子の浦バス停界隈、このような柱を見ると「大門」とつい妄想してしまいます。悪い癖です。
実際は何のために建てられたのかは分かりませんが、文字部分が塗りつぶされていました(09年)。

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↓木造三階建ての建物。空家のようでした。

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↓此処は平戸街道になっています。

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↓早岐神社から見た田子の浦界隈。中央に木造三階建てのお宅が望めます。

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2007年6月27日

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