花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

茨城県・水戸

茨城県の遊里跡、水戸を探索してきました(04年)
2016年6月、12年ぶりに再訪。

↓水戸駅前の東照宮参道は坂道のアーケードになっており、
坂を下った所が当時の旧町名「奈良屋町」になっています。
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(04年)

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(04年)
↑↓東照宮参道のアーチも取り除かれ、東映シネマも駐車場になっていました。
何か殺風景な雰囲気になってしまいましたね。
元々神社仏閣などの神聖な場所の回りには歓楽街や遊里などの悪所が存在しているものなのですが、此方東照宮の界隈は表参道には映画館、飲食店などの娯楽施設に始まり、裏手には遊里が在るというとても良い区画だったのです。

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(16年)
↓奈良屋町路地裏にはスナック、小料理屋などが建ち並んでいますが、
新築の住宅、空き地も目立ちます。

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(04年)
↑↓位置からすると、「ほおずき」の建物が外装直しで
「まゆみ」になっているような気がします。

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(16年)
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(16年)
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(16年)
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(04年・現存せず)
↓旅館が建ち並ぶ一画
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(04年・現存せず)
唯一残る旅館だった建物ですね。
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(04年)
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(16年)
↓お隣の建物は現在駐車場になっていました。

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(04年・現存せず)

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(04年・現存せず)

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(04年・現存せず)
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(16年)
↓旧旅館街真ん中辺り、04年探索時には気にも留めておかなかった泉神社です。
玉垣見ると旅館組合があります。信仰されていたのでしょうね。
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(16年)
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(16年)
↓水戸東照宮から見た奈良屋町の全景です。中央は旅館の建物。

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(04年)
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(16年)
↓大工町三業地アーチ

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(04年・現存せず)
↓三業地アーチも取り除かれていました。
三業地と言っても現在はソープ街になっています。

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(16年)
↓廃墟のまま放置されているソープクイーンシャトーの建物。

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(04年)
↑↓04年探索時もかなりインパクト強いソープランドの廃墟だったのですが、
驚くなかれ現在も残っていました。廃墟サイトでも有名みたいですね。
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(16年)
↓窓ガラスの破損など、かなり朽ち果ててきましたね。
Queenのお顔部分も剥がれ落ちています。
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↓オマケ・水戸探索後、「さんふらわあ」で北海道に向かいました。
東京駅~小樽駅・パシフィックストーリー利用です。


2004年1月8日・2016年6月27日

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茨城県・那珂湊

茨城県の遊里跡、那珂湊を探索してきました。
江戸時代から続く大洗遊廓は吉原、潮来と並び、関東三大遊郭としての誇りがあり、その格式は天下に響いていたという。その大洗遊郭が那珂湊と久慈浜に分散、二つ合わせて約百軒、四百名というのだから相当のものだったであろう。

↓常磐線勝田駅から湊線で約10分。那珂湊は江戸時代には舟運で栄えた町でしたが、鉄道の開業後、舟運が寂れてしまいました。現在も乗降客は疎ら、近くのお魚市場にはマイカーでの買い物客で賑わっていました。

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↓「跡」探索には地元の商工地図が結構役に立ちます。旅館や料亭、飲み屋街が当時の歓楽街の目印になります。

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↓現在は賑わった当時の面影は殆ど残っていませんでした。
唯一、湊公園の麓、天満宮の参道界隈に飲み屋街が残っていました。

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↓趣のある建物。現在は倉庫になってるようです。

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↓那珂湊と大洗を結ぶ海門橋。大洗遊郭が在ったと思われる祝町まで歩いてみましたが、面影は全くありませんでした。数軒の観光旅館と水族館アクアワールド大洗に変わってしまったのでしょうか。大洗から那珂湊を望みます。

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2008年8月7日

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茨城県・下館

茨城県の遊里跡、下館を探索してきました。
↓よるの女性街・全国案内版によると、花街は町の東南部稲荷町通りを中心に二十軒、五十名の芸者がいると記載されています。「名所名物が何もない米どころだけに泥くさい芸者ばかり、それだけに深情け・・・」

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↓地図サイトを頼りに駅から稲荷町を目指します。駅前大通りから平行する路地に飲食店が連なる一画がありました。

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↓廃業している飲食店、「料理店」の鑑札です。

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↓営業をしていない割烹旅館が在りました。地図サイトによると割烹旅館「住吉本店」と記載されています。

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↓立派な門構えです。

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↓こちらも営業をしていない飲食店。看板が裏に片付けられています。

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↓割烹旅館の小高い丘から路地をの眺めます。

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↓下館にある2館の映画館は廃業し、地図サイトに記載されている銭湯らしき「那須の湯」も別物の建物になっていました。

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2008年1月10日 

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茨城県・常陸大子・太田

茨城県の遊里跡、常陸大子、太田を探索してきました。
時刻表の薄い水郡線です。上菅谷、常陸太田間のリフレッシュ工事と重なり、大子が先に太田が後になってしまいました。時間の合間に水戸奈良屋町も再訪。「赤線跡を歩く・赤本」の茶色のタイルの建物はなくなり駐車場になっていました(07年)。

↓女の線区と言われていた水郡線ですが、現在当時の名残を見ることは出来ません。数年前に訪れた玉川村の料亭らしき建物は、車窓から見る限りでは確認出来ました。
今回の探索行程は18きっぷ利用で、常陸太田の鯨ヶ丘遊郭跡探索後、常陸大子で温泉浸かって帰る予定。常陸大子は情報がない為、行き当たりばったりの路地裏探索です。

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↓探索当日、予定が狂いました。水郡線上菅谷~常陸太田間がリフレッシュ工事のため昼間の間はバス代行の事。ただでさえ時刻表の薄い水郡線は時刻表と睨めっこです。行程を先に常陸大子に行き、路地裏探索。空振りでも温泉があると気分も晴れます。

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↓駅前から久慈川へ続くメインストリートに数軒の旅館、中には門標のみの営業をしていない料理屋さんもありました。

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↓常陸太田界隈
郷土資料館分館
午後3時以降に工事が終わり、どうにか常陸太田に行くことが出来ました。とは言っても太田到着午後4時をまわって、日は西に傾き日没寸前です。プリントした地図を見ながら探索開始ですが、のっけから道を間違えました。鯨ヶ丘は地名の名の通り鯨の背のような町で小高い丘が町の中心になっています。駅から丘に上らず脇道に入ったおかげで坂を上ったり下りたり、目印となる郷土資料館分館を見つけた時にはホッと一息です。駅より約1キロ12分。

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↓太田を代表する坂として板谷坂があります。数年前に整備され、上段部は階段になっていますが、かなりの急勾配を感じます。この坂を下り、道は日立方面に続きます。

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↓間口は程々に奥行きのある建物が多いです。

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↓夜の女性街・全国案内版によると、太田には約十軒、四十七名とされています。東3丁目界隈鯨ヶ丘商店街を歩いてみました。途中、くじら焼なる物を購入。たい焼の鯨版。太田の名物だそうです。

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↓駅前に廃墟になったサウナがありました。この時点でタイムアウトです。冬至前の12月20日午後5時前、水郡線の上り列車の時間まで40分程あります。駅前には飲食店も少なく(殆ど無い)、駅待合室で先ほど購入したくじら焼をパクついていました。まわりは下校途中の高校生ばっか。はじめの予定では、大子で久慈シャモを食す予定だったのに残念です。

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2007年12月20日

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茨城県・潮来

茨城県の遊里跡、潮来を探索してきました。
「全国遊廓案内」よると妓楼三軒に娼妓二十名とある。
↓ようこそ水郷潮来のアーチ

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↓浜町通り、復元された大門のようです。

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↓旧あやめ楼の建物。

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↓潮来界隈の町並み

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↓「潮来浜町芸娼妓出世双六」とは凄いです。左端にお蕎麦やさんの「若田屋」さんもありますね。

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2006年8月3日

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茨城県・古河

茨城県の遊里跡、古河を探索してきました。
↓日光道中の宿場がおかれていた古河市横山町。町並みはかつての面影を残している。

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↓2004年古河の町並み

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↓古河市中田の旧遊里に残る建物

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2004年9月2日

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茨城県・玉川村・土浦

茨城県の遊里跡、玉川村、土浦を探索してきました。

↓水戸から水郡線で約45分の玉川村駅。
本数の少ない水郡線の玉川村滞在時間は30分と制約される中、駅周辺の探索を始める。

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↓駅前通りに残る建物。

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↓「赤線跡を歩く」の発行から約6年経ち(2004年時点で)、
建物が残っていないかも知れないと言う不安を持ちながら見つけた建物に一寸感動!

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↓道路沿いの割れた小窓から失礼致しました。台所だったのだろうか?
調味料が散乱しています。棚の人形が哀愁を誘います。

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↓駅側から見た全景。畑の中にポツンと廃屋が残っています。
往時の玉川村の記述では四軒十七名とありますが、本日の玉川村駅乗降客数、自分を含め上り下りとも三人、
北風強い快晴の空が眩しく、収穫ありの玉川村に大満足で帰路につきました。

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2004年1月8日


土浦界隈/2002年。
もともと土浦には遊郭は存在しなかったが、現在の桜町2丁目近辺にはソープランドなどが建ち並ぶ女性街になっている。土浦駅西口より南へ10分ほどの距離、桜川べりの桜川橋と匂橋の間に点在する建物(現在は営業していない)に赤線時代の名残がある。

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↓実際はもっと通りの中に入れば面白かったかもしれないが、何せ営業中のソープ街、呼び込みのお兄さんの目が恐い。此方の建物は正面入口は洋風、奥は和風と和洋折衷の建物。

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↓現在は営業していないソープか旅館。入口には「徳川」の屋号が残る。

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2002年3月21日


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