花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

山口県・下関

山口県の遊里跡、下関を探索してきました。


下関新地町再訪。

赤間町界隈の町並み

↓稲荷町遊廓があった赤間神宮裏手、探索してみたが、殆ど名残はなかった。

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↓呑み屋街の路地

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新地界隈
七十五軒に百二十名。洲崎型の小店多いとある。
↓かつての新地遊廓の入口あたり。赤線跡を歩く・青本にも載っています。

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↓新地界隈の町並み

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↓此方も青本、「角地に玄関の骨格だけが残る」と記載されている。

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↓豊前田界隈の呑み屋街

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豊前田界隈の銭湯

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2005年2月24日

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岡山県・東中島・西中島

2016年7月、11年ぶりに再訪してきました。



岡山県の遊里跡、東中島、西中島を探索してきました(2005年)。
↓東西中島は、明治十年に遊廓となって花街として栄えました。
「京橋を渡る」と言う言葉が色里に行くという隠語にもなっていたそうです。

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西中島界隈
↓東西中島は旭川に浮かんだ中洲のような二つの島で、京橋、中橋、小橋と言う三つの橋によって繋がれています。

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↓三つの橋をまたぐ国道の新京橋から東中島を望みます。

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↓新京橋から東中島の趣のある建物を見てみました。

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↓東中島の中でももっとも趣のある建物です。玄関磨りガラスに屋号を見ることが出来ます。

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↓そのまま映画のセットで使えそうな雰囲気です。

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↓同じ建物を川沿いから見てみました。かつては川面に映る灯火が美しかった事でしょう。

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↓新京橋から西中島、中橋を望みます。

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↓東中島界隈

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↓小橋の袂にあったお稲荷さんです。

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2005年1月28日

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岡山県・玉島

岡山県の遊里跡、玉島を探索してきました。
帰路して反省!某サイトで見た木造三階建ての妓楼を見逃していた可能性大でした。
もう一寸歩けば良かったかも知れないが、取り壊されている可能性もあり、
こればっかりは次回のリベンジと思っています。

↓2016年7月21日、7年ぶりに玉島再訪してきました。



↓「全国遊郭案内」によると貸座敷十三軒、娼妓約五十人とある。
新倉敷駅(旧玉島駅)より三キロほどの距離の玉島天満町は、玉島港の西岸にある旧遊里です。

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↓「玉島歴史民俗海洋資料館」で玉島の旧遊里とお聞きしたところ、天満町から西町にかけてが以前遊里が在った場所との事、趣のある町並みに浮かれ気味、天満町をもうチョイ先の「柏島」辺りまで探索すべきだったと後日反省。

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↓丸形ポストはよく見かけるが、郵便番号のキャラクターは久々に見ました。記念切手にもなっていました。

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↓そのまま映画のセットのような町並みです。

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↓西町界隈で見つけた銭湯

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↓豆タイルで飾られた理容室(西町)

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2009年9月9日・2016年7月21日

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広島県・糸崎・竹原


↓2016年糸崎再訪してきました。



08年3月12日、広島県の遊里跡、糸崎、竹原、吉浦、呉を探索してきました。
広島空港より最寄り駅の白市駅へ、ここから18きっぷ利用です。
お天気にも恵まれ、呉線からの眺めを満喫しました。

糸崎界隈~2008年

↓「全国遊郭案内」によると、糸崎町松浜遊郭は駅より東へ約1丁とあるが、海側の出口がないために国道沿いを歩き、歩道橋を渡ることになる。駅前交番で「海側に出るには」と聞いたところ、西側の踏切を教えられたので、のっけから遠回りすることになった。

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↓廃屋になっているお宅もありました。

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竹原界隈
↓同じく全国遊郭案内によると、竹原町遊郭は竹原町明神町にあり、竹原駅より1キロ強の距離。
殺風景な工場地帯を歩くので、実際の距離よりも遠く感じられる。
芸予諸島へのフェリー乗り場でもあり、道すがら、フェリーの出航を見ることが出来ます。
明神橋はかつて明神遊廓への入口だった。

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↓明神町の建物

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竹原界隈
↓安芸の小京都と称され、竹原町並み保存地区で知られる現本町三丁目界隈は、
明治十七年、榎町、新町と言われ遊里がありました。

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↓現在では住吉大神宮のある一画に木造三階建ての建物や料亭があります。

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↓レトロな写真館

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↓一富士食堂

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呉界隈
↓明治二十年設立の呉市吉浦遊郭は吉浦駅より南へ約一丁。駅の海側に位置するが、
現在名残は全くない。

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↓界隈近くの食事処。プチ唐破風です。

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↓呉線踏切脇に廃屋になった旅館のような建物がありました。

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呉市朝日町界隈
↓呉市朝日町遊郭は吉浦遊郭より遅く、明治28年に設立されたもの。
こちらも名残は全く残っていなかった。当時、貸座敷は四十五軒、娼妓は五百人とある。

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↓前情報で名残は無いとの情報もあったが、行ってみないと気が済まない。
夕刻だったので、ケチな私が駅からタクシー利用。やはり名残は無かった。

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↓オマケ・富士山
往路JAL1601便にて広島へ。富士山が綺麗でしょ!

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2008年3月12日

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山口県・湯田温泉

山口県の遊里跡、湯田温泉を探索してきました。
「よるの女性街・全国案内版」によると、山口市からハイヤーで15分。
山口の女を語るより、この温泉場の方がよい。芸妓は100名で大半が転ぶ。
赤線は温泉場から徒歩15分ほどの田甫の中に30軒、一廓をなしていて117名いる。とある。
湯田温泉は過去エアホの指定ホテルで、ニュータナカに3回ほど訪れていますが、
場所エリアが判らず仕舞い、今回は数年ぶりの再訪です。

↓2003年訪れ時の湯田温泉駅。
駅舎は現在も変わっていません。

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↓ネット情報だと以前は歓楽温泉郷のイメージが強いのですが、
時の流れと共に歓楽さは薄れ、現在は程々に。
通称「ほろ酔い通り」という一画に呑み屋が軒を連ねています。

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↓ほろよい通りのマンホール

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山口県・防府

山口県の遊里跡、防府を探索してきました。
「全国遊廓案内」によると、山陽線三田尻駅(昭和37年防府駅に改称)より南へ十丁、三田尻港からは二丁の処とある。
町名変更で現在は三田尻3丁目辺り、バス路線もあるようだが、
今回は防府駅よりレンタサイクル利用(1時間200円)しました。

↓旧遊里跡入口にありがちな交番(駐在所)。
この交番前の路地を入るとUの字型の路地になっていました。

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↓ごく普通の住宅街の中にスナックの屋号らしき看板を見る事が出来ます。

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↓他の方の訪れたサイトを見ると、朽ち果てたスナック廃屋、看板も見うけられましたが、
現在は空き地も多かった。

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↓廃屋スナックの1軒。

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↓現在は生活感のないお宅。建物の造りからしてかつては旅館か料亭だったのでしょうか?

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山口県・徳山

山口県の遊里跡、徳山を探索してきました。
「全国遊廓案内」によると、徳山市遊廓は山口県徳山市新地に在って、山陽本線徳山駅で下車する。乗合自動車の便があると記載されている。地図サイトで徳山市新地と検索してみると実際に現在「新地」という地名は残っていますが、徳山お隣の駅「新南陽」との丁度中間、乗合自動車で行くには丁度良い距離ですが、実際(現在)訪れた方のブログは無かった。地図サイトでも中小工業エリアになっているようです。それに対し出てくる町名は「柳町」、駅から程近く(1キロ位)のエリアに呑み屋街が密集しています。以前訪れた方のネット情報によると、以前栄町にあった「才ノ森遊廓」が戦災でなくなり、現「柳町」に移り戦後の赤線になったようです。

↓徳山駅前から続く銀南街アーケードを抜けると飯島町の公園があり、公園を取り巻くように糀町、橋本町、柳町となり、歓楽街を形成しています。ビジネス旅館や料亭もあり地図サイト写真で見ると、中庭もあるお宅も見うけられます。

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↓丁度柳町中心エリア、駐車場もありますが、良い呑み屋街の景観を保っていますね。

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↓まわりにはファッサードリニューアルのスナックが点在しています。
お二階の意匠を見ると結構大店のお宅に複数の入口スナック、まだまだ現役そうな呑み屋街です。

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↓オマケ・界隈商業地図

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~~参考にした同地区サイト、5年前のものでしたが、現在も再開発もなく残っていて良かったです。必要悪所で末永く残っていて欲しい景観ですね。勿論、新宿ゴールデン街、2丁目新千鳥街も含めです。~~

2014年9月5日




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鳥取県・倉吉

鳥取県の遊里跡、倉吉を探索してきました。
倉吉の遊里跡に関する記載は「全国遊廓案内」にも記載はなく、
ネット上ではごく僅かな方がアップされています。
関東からの山陰旅は、鳥取、米子とANAのみのフライト、
JALは出雲なので倉吉はかなり遠く感じられ、
エア&ホテルのツアーも、岡山、広島に比べると割高さが難点です。
仕方が無いので今回は沖縄行きを捨て、JALマイル利用で出雲&倉吉に行って来ました。

↓一般的な観光散策は「赤瓦・白壁土蔵」地区界隈が有名で、
ごく普通に町歩きをしていても、愉しめる町並みです。

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↓大社湯にも浸かりたかったのですが、午後4時半開店と言うことで残念ながら無理でした。

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↓倉吉新地と呼ばれた遊里は205号線、
赤瓦白壁土蔵バス停を更に西に向かった所にありました。

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↓205号線を挟み右手側↑が現在でも数軒の建物が残っているようですが、
左側の町並にも、かつては倉吉の奥座敷であり、
旅館や料亭が数多く点在していたと記載案内版がありました。

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↓右手の建物は「旧梅の屋」。大店だったのですかね。
間口奥行き共とても大きな建物です。

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↓正面のお玄関は多少のリフォームをされているようです。

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↓反対側から望みます。

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↓裏口?には「梅乃家」の屋号が刻まれています。

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↓裏口の路地。

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↓お二階部分を見てみました。

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↓此方のガラスは紅白の市松模様になっているようですね。

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↓建物の至る所に貼ってある「売物件」の張り紙。
取り壊し間近ですか。

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↓遊里内のお稲荷さん。

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↓お稲荷さんを真ん中にかつては旅館だったと思われる建物は「梅乃家」含め三棟ありました。
此方の建物もかなり立派ですが、生活感がなさそうなので、家主不在なのでしょうか?

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もう一棟はお住まいのようでしたので、アップは控えさせて頂きました。

↓オマケ・明治町路地裏のスナック街。

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2013年4月4日

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岡山県・津山

岡山県の遊里跡、津山を探索してきました。
エア&ホテル「岡山ステイ」を利用。夏休み明け、シルバーウィーク前と言うことでこの時期エア&ホテルツアーは格安の22800円なり。鉄道移動は18きっぷ利用です。心配していた台風13号も逸れ快晴の2日間。
「国盗り郭盗り乗り潰し」を愉しんで来ました。

↓「全国遊廓案内」によると津山市材木町及び伏見町に在って、駅より東北へ拾丁とある。
駅前観光案内所で頂いた観光マップにも「行こか戻ろか思案橋、此処を渡れば昔の遊廓」と記載されていました。
橋を渡ると出雲街道、材木町と伏見町の中間にあたります。

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↓思案橋

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↓出雲街道材木町界隈、「大橋」は城下町東の出入り口。江戸時代には大番所かあった。
ここ津山も「男はつらいよ」でロケされています。第48作「寅次郎紅の花」満男が結婚式を妨害するシーン等々。

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↓材木町、伏見町には昔ながらの建物が現役保存されています。探索していて愉しいです。

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↓駅前からの鶴山通りを挟み出雲街道は伏見、材木町が城東の町並み。城西界隈京町、小姓町、堺町には昔ながらの旅館が点在しています。堺町は高瀬舟の発着場をうけた商人町で、豪商が栄え、当時の賑わいを示す旅館も素晴らしい。

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↓中々渋い鑑札です。

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2009年9月10日

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山口県・萩・芳和荘

山口県の遊里跡、萩に残る旅館「芳和荘」に宿泊して来ました。
昔は遊廓だったと言う「芳和荘」、築約百年という。殆ど貸し切り状態の宿の中を密かに愉しみました。

↓数年前にネット検索で見つけた東萩の「芳和荘・旧長州楼」です。今回念願かなって宿泊することが出来ました。往復宇部山口空港利用。新山口から萩へのバス路線もあるようだが、美祢線、山陰本線とも時刻表が薄いのが難点です。

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↓玄関を入ると帳場と二階への階段が在ります。

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↓階段、二階からの眺め

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↓階段を上がると、目の前に中庭が広がります。

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↓ロの字型の回廊は何処から見ても素晴らしい。

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↓入口正面階段とは反対側の階段からの眺め。階段は四隅に在ります。

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↓宿泊した部屋。六畳の和室「上津江の間」。
中央下コンセントの脇に呼び鈴のボタンがあったり、色々と興味深いです。
部屋備え付けの非常口案内表(芳和荘部屋割表)を近くのコンビニでコピーしてきてしまいました。失礼いたしました。

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↓部屋の手摺り

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↓宿泊した部屋は右側(カーテンの開いている)でした。

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↓裏側駐車場から見た風景

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↓以前は小料理店も在ったのだろう。小料理「芳和」の玄関。

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↓他の方の芳和荘訪れサイトでは緑に生い茂っている北側からの風景。
今回は枯れバージョンです。

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↓遊廓の在った浮島地区(現浜崎)は松本川と新堀川に挟まれた一画。当時はこの新堀川からも小舟で登楼出来たのであろうか。

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↓芳和荘のお隣には小料理屋だったと思われる建物が残っていました。

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↓小料理屋二階部分

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オマケ
↓芳和荘グッツ。案内パンフと頂いたボールペン。私のお宝になりそうです。

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2009年3月5日

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