花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

愛媛県・道後温泉


2106年ネオン坂再訪。

愛媛県の遊里跡、道後温泉を探索してきました。
観光客に人気のある道後温泉本館より徒歩3分、人影も疎らな一画に「ネオン坂歓楽街」という通りを発見しました。歓楽温泉街には良くある飲み屋街とストリップ劇場。営業している店舗は数店でしかないように思える。空家や廃屋もある。
もともと小説「坊ちゃん」の一節にも「此の道後と云う所は温泉のある町でおれのは這入った団子屋は遊廓の入口にあって・・・」とあるように道後温泉にも遊廓があった。今日ではネオン坂歓楽街となってスナック等に変わっていますが、建物自体は現役のまま残っていました。
木造二階、三階建ての建物、スナック入口部分は外壁リニューアルこそしていますが、上を見上げると和風建築であることが分かります。景観を彩った飾り窓なども残っていました。ネオン坂の通りにはすでに取り壊され駐車場になっている一画もあります。区画整備等で数年後にはマンションなどになっているかもしれないネオン坂。遊廓だった時代を思い浮かべながら探索してみました(02年)。
6年ぶりに道後温泉を再訪してきました。ネオン坂歓楽街のアーチは取り去られ、「朝日楼」は駐車場になっていました(08年)。

↓道後温泉界隈の町並み(02年)。
ネオン坂歓楽街のアーチ

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↓歓楽街には呑み屋が並ぶ。ここネオン坂は一遍上人誕生の地、宝厳寺の門前でもある。

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↓新築工事中の建物と取り崩されたままのスナック。

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↓営業をしていないスナックを含め呑み屋が建ち並ぶ参道。

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↓木造三階建ての建物。二階部分は目隠しされている。
一階はスナックになっています。向かい側の空地(駐車場)から撮影。

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↓朝日楼(02年)

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↓和風建築の中にカフェ風のモダンな和洋折衷の建物。宝厳寺三門からネオン坂を眺める。

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↓ネオン坂アーチは取り外されていました(08年)。
アーチ内側から撮影。冒頭のアーチ画像、「きぬ」の赤い看板が目印です。

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↓宝厳寺のすぐ近く、「朝日楼」が在った場所は宝厳寺の駐車場に変わっていました。03年には朝日楼の再生というプロジェクトも組まれていたようですが、一寸残念ですね。当サイトリンク「ネオン坂プロジェクト」を参照して下さい。

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↓空地もそのままに・・・。

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2002年9月12日・2008年5月23日

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愛媛県・今治


2016年今治再訪。

愛媛県の遊里跡、今治を探索してきました。
今治の旧歓楽街北宝来町は殆ど駅前、駅前再開発の為か一棟はすでに取り壊され空き地に、
訪れた時には「まつや旅館」が取り壊し中でした(08年)。
↓高架線になった今治駅の片隅に、時代から取り残された一画があります。
駅前食堂、駅前旅館が軒を連ねていますが、営業をしていない店舗も多く、再開発で消え去られる雰囲気です。

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↓駅前食堂裏手の道筋、北宝来町旧カフェー街。

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↓グリーンの豆タイルとカフェの門標があるスナック。

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↓撮影時刻を見ると分かりますが、今治駅到着後撮影のまつや旅館。

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↓今治界隈探索後、帰りがけに看板取り壊し作業中でした。
数名の地元の方も見学していましたね。よそ者ながら、最期を見届ける感じです。

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↓今治駅前、中央部分が駅前食堂とまつや旅館が在った辺りです(10年)。

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↓まつや旅館跡地。駐車所になっていました。

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↓旅館跡地の裏側、更地。ちょっと怪しげな路地がなくなってしまいました。
グリーンの豆タイルカフェ鑑札の建物は中央奥。

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↓此方側も時間の問題かと・・・。カフェの鑑札欲しいなあ。でも盗ると窃盗になるので、画像で我慢しています。

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↓此方も路地がなくなりました。グリーンの豆タイルカフェ鑑札の建物は一番奥。

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↓駅前二葉で鯛めし定食を食す。ここは駅弁「鯛めし弁当」の製造元。やっぱ出来たて温かいのは美味しいです。

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↓三津浜界隈
三津に稲荷新地があるとの記載にダメ元で探索してきました(08年)。
伊予鉄道、三津駅舎はレトロな駅舎です。

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↓新地界隈はごく普通の呑み屋街に変わっていました。

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↓伊予鉄土橋界隈の町並み

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2008年5月21日・2010年5月25日・2016年12月14日

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香川県・高松

香川県の遊里跡、高松を探索してきました。
前回高松を訪れたのは04年。今回は前回見落としていた片原駅前旧カフェー街・パラダイス、城東町のソー○街を早朝探索です。日の出と共に出発進行!ネオン輝く夜の歓楽街よりも、まったりしている早朝の風景が好みです。

↓2016年8月、7年ぶりに旧パラダイス通りを探索してきました。
路地裏は変わらぬ佇まいでした。



↓早朝のソー○街はひっそりと静まりかえっている。全国遊郭案内によると東浜「八重垣遊廓」は貸座敷三十四軒、娼妓約百八十人とある。昭和二十年七月の高松大空襲で焼け野原になった後、赤線、現ソー○街となる。

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↓ソー○ランドにまじって赤線時代の建物が数軒残ります。02年発行の「赤線跡を歩く・青本」ではこの建物を含む四軒程の建物が四隅に残っているが、現在は二軒のみ。他は駐車場になっていました。

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↓琴電片原町駅前の一画に、旧パラダイス通りというカフェー街が残っています。

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↓遊里跡にはやっぱ猫!遣り手婆猫ではなく、子猫ちゃんでした。

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↓空き地も目立ちます。

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↓「カフェー」の鑑札の一軒、廃屋になっています。トイレの脇に二階へ上る細い階段。

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↓上って見たいが不法侵入、お縄になるのでガマンガマン。

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↓「カフェー」の鑑札はレベル高し!萌えます!

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↓此方は「簡易料理店」

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↓雀荘は「遊技場」の鑑札

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百間町界隈
↓百間町にある料亭「二蝶」は国の登録有形文化財の指定を受けた数奇屋風の建物。

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↓「二蝶」は料亭の鑑札でした。

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2009年6月19日

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徳島県・徳島

徳島県の遊里跡、A田町を探索してきました。
2010年・2016年再訪。空き地、取り壊し寸前の建物もありました。
前回06年探索は早朝だったので分かりませんでしたが、此方は現役の町、
探索には注意が必要です。
↓全国遊廓案内によると、A田町は明治初年旧藩主蜂須賀氏の城内から局長家を移して遊女家を許可した事に始まるとある。当時は妓楼数八十三軒、娼妓二百五十名と大きな遊郭だった。

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(06年)

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(06年)

↓06年探索時はお住まいの気配があったお宅でしたが・・・。

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(06年・現存せず)

↓06年探索時は早朝悪天候だったので分かりませんでしたが、界隈は現役のようです。

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(06年)

↓遊里跡では、一眼デジカメをカシャカシャ振り回すのは避けるべきです。
当方、デジカメはコンパクトデジカメ手のひらサイズ。

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(06年)

↓町並みと人の気配を感じつつ、迅速にデジカメ。風のように通り過ぎるのが基本です。

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(06年)

↓今回昼下がり、普通の町並みと思っていたらいつのまにかにエリア内に入っていた。肝を冷やしました。

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(06年)

↓レトロな氷屋さんです。2010年探索時は見つかりませんでした。

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(06年)

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(06年)

↓秋田町の町並み

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↓2010年ブルーの豆タイル建物は、探索時誰もお住まいになっていない様子でした。

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(10年・現存せず)


↓お隣の建物も取り壊され空き地になり、今回が見納めかと。

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(10年)

↓徳島の町探索は2度目。駅より歩くが碁盤の目ではなく必ず迷った。駅前から富田町、鷹匠町と歓楽街が続きます。

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(10年)

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(10年)

2016年再訪。建物自体の変わりは殆どありませんでしたが、
ブルータイルのお宅は多分現存していませんでした。
(帰宅後ストリートビューにて確認)。

↓バス停前のこのお宅、売物件になっていました。
今回新たな発見。ごく普通のお宅ですが、庇の陰に「バー」の鑑札がありました。

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(16年)

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(16年)

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(16年)

↓袖看板が外されていた旅館。

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(16年)

↓今回の徳島行きの目的は、オーシャン東九フェリー新造船「びざん」に乗船すること。
東京~徳島、約18時間の船旅です。



↓徳島~和歌山へは南海フェリー「かつらぎ」乗船。
乗り継ぎ時間が3時間あった為、徳島遊里再訪探索となりました。




2006年7月21日・2010年5月27日・2016年3月15日


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愛媛県・新居浜

愛媛県の遊里跡、新居浜を探索してきました。
今回四国探索旅は初サンライズ瀬戸乗車(それもシングルデラックス)。四国一周はエコポイント交換パス利用。通常15700円の四国フリー切符の縮小版、土佐くろしお鉄道、四国バスなどは乗ることが出来ないが、8000ポイント交換と交換率はとても良い。高松入りの徳島帰り。前回を含めJR完全乗車達成しました。

↓「よるの女性街・全国案内版」によると新居浜は住友王国、厚生施設用の赤線が二十二軒、七一名。「夏はうだるような暑さで楽しくない。土日、月給日は極力避けること」と記載されている。

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↓駅より3~4キロ程の泉池町には呑み屋街が点在している。

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↓営業している店舗より貸店舗の看板の方が多いかも知れない。

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伊予西条界隈
↓石鎚山の伏流水が町中に溢れている伊予西条です。
時間に余裕があるので、ちょっと途中下車。

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↓町の中心は駅より1キロ程離れた所にあり、シャッター閉まるアーケード街を進む。
通り路地裏に飲み屋街がある。

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↓この界隈も駐車場、空き地が目立ちます。

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2010年5月25日

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徳島県・鳴門

徳島県の遊里跡、鳴門を探索してきました。
↓「全国遊郭案内」によると撫養町遊廓は貸座敷二十軒、娼妓約百人とあるが、
現在の撫養町は歓楽色もなくひっそりと静まり住宅街に埋もれています。

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↓こぢんまりとしているレトロな銭湯「養老湯」は現役で営業してしている。
開店前の昼下がり扉は半開き、ノンビリしてまっせ!

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↓銭湯のお隣、元旅館だったと言われているが、残念ながら二階部分は目隠しされていました。

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↓鳴門呑み屋街の一画

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オマケ・今日の駅弁
↓坂出・鳴門を探索後、徳島より剣山9号に乗車する。此処からは乗り潰し&国盗りの旅。徳島駅にて「阿波地鶏弁当」1000円とビール3缶購入。コストパフォーマンス良し、徳島のローカルフード「フィッシュカツ」や蓮根も入っているので、酒の肴に丁度良い。

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2009年6月18日

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香川県・坂出・善通寺

香川県の遊里跡、坂出・善通寺を探索してきました。
坂出の遊里跡沖湛甫界隈は下調べ不足で、方向違いの場所を歩き、金比羅宮近くと知ったのは帰路してからのことでした。
思いがけない唯一の収穫は駅近くの旧芝居町界隈の飲み屋街「カフェー」の鑑札。
善通寺は05年に探索したときの画像です。「跡」場所が特定できずお蔵入りしていました。数枚の雰囲気のある町並みをアップしていますが、あくまでも町並み散策として参考にして下さい。
↓駅前商店街から逸れた路地裏に呑み屋小路があります。

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↓ネット上に出ている坂出「浮世小路」という呑み屋街は此処のことを指すのかな?
どん詰まりに豆タイル的建物(?)を見つけましたが、犬に吠えられ無念の退散。

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↓坂出唯一の収穫、カフェーの鑑札。

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↓呑み屋街路地、裏から見ると長屋風になっています。

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↓近くにはビジネス旅館も数軒在ります。

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善通寺界隈(05年)
善通寺を訪れたのは05年の事、此と言った下調べもなく善通寺を訪れましたが、路地裏には心躍る建物が多かった。「跡」確定が出来なかったので、今までお蔵入りしていました。
↓レトロな銭湯

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2005年4月20日・2009年6月18日

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高知県・高知

高知県の遊里跡、玉水を探索してきました。
明治から戦前にかけて高知市内にあった遊廓は二つ。
下の新地と呼ばれた稲荷新地は宮尾登美子の小説「陽暉楼」の舞台にもなったが、戦災で全焼し名残は殆どのこっていない。一方の玉水新地は昭和初年妓楼二十七軒、娼妓三百二十人とある。戦後は赤線の町になった。

↓05年に訪れたときは大雨の中での探索だった。土地勘もなかったので、ちょっと迷い気味。水溜まりにもはまり、靴もびちょびちょ。早々と切り上げ、高松に向かったのが懐かしく思えます。

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↓よく見ると此方の建物は同じ建物に屋号が二つついているのですね。

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↓黒の豆タイルの中にカフェーの鑑札

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↓現在のはりまや橋のほど近く「得月楼」は料理店として営業しています。

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2008年再訪

↓道路沿いの元妓楼はそのままに、路地には空き地、駐車場が目立ちました。

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↓一棟だけ取り残されてしまったのね。周りは駐車場になっていました。

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↓オマケ・室戸岬が綺麗です。

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2005年4月20日・2008年12月5日

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愛媛県・大洲・内子・宇和島

愛媛県の遊里跡、大洲、内子、宇和島を探索してきました。
08年愛媛旅、2日目は大洲・内子・宇和島に行ってきました。
お得な切符は「内子・大洲町並み探索1日パス」を利用し、往路は予讃線長浜経由、帰路は内子経由と鉄道路線を愉しみ、差額を払い宇和島まで足を伸ばしました。ここでは遊里跡探索というより、路地裏探索をお愉しみ下さい。

↓大洲は「男はつらいよ・寅次郎と殿様」第19作、1977年で寅さんも訪れています。駅より大洲城へ向かう途中、新町、殿町商店街の路地裏に歓楽街の雰囲気が漂う一画があります。

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↓新町商店街で見つけた建物。以前は銭湯?だったのでしょうか。

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↓温泉マークと屋号が残っています。

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↓以前は美容室だったと思われる建物。

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内子界隈
↓内子座

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↓団体観光ツアーはこちらの飲食店で昼食をとるようです。団体客で賑わっていました。かなり立派な佇まいです。

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↓内子観光ルートから外れ、散策マップにも載っていない一画に廃墟になった小屋がありました。

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↓運良く、通りすがりの昔のお嬢さんにお話を聞く事が出来ました。この建物は以前は映画館で「朝日館」と言って、私たちの娘時代は賑わっていたと。文化財として残されている「内子座」より廃墟になった映画館に心惹かれます。そのまま映画のセットに使えそうです。

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宇和島界隈
↓宇和島きさいやロード商店街(アーケード)と平行している通りには呑み屋が軒を連ね、歓楽街的雰囲気があります。

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↓須賀川の袂、料理旅館「月ヶ瀬」の隣に趣のある建物が在りました。

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↓和霊神社前の一画、大正時代は北陽花街と言い、「北新地」と呼ばれ、
鶴島町には検番も在った。須賀川下流から御幸橋を望む。

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伊予市界隈
↓松山に戻る途中、伊予市駅(伊予鉄郡中港駅)にぶらり途中下車。前情報もなく町並みを探索する。この町を探索するぞ!と言う気合いが入っていないので、気が楽。意外と温泉銭湯多し。

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↓趣のある料理屋がありました。立派な佇まいにも関わらず、メニューは蕎麦、定食系と庶民的です。

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オマケ
↓大洲サンロード本町商店街にて露天売りしていたあまごの塩焼き(180円)と天ぷら(イカ・エビ・各95円)焼きたて揚げたてが美味しい。価格は観光料金ではないので、とってもリーズナブル。ビールが欲しいところだが、朝っぱらなので我慢した。

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2008年5月22日

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香川県・琴平・丸亀・多度津

香川県の遊里跡、琴平、丸亀、多度津を探索してきました。

琴平界隈
「夜の女性街・全国案内板」によると、森の石松が泊まったという虎屋という宿まで残っている遊興の街とあり、芸妓は四十三名とある。また、赤線は橋を渡り路地裏一帯に五十軒、百七十名程。また芸妓は五、六名を除けば泊まるともあるので、
芸妓、娼妓と棲み分けされていたのでしょうか?曖昧さいっぱいです。
↓金比羅宮参道に架かる橋、赤線は通称「赤橋」と呼ばれていました。

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↓琴平界隈の町並み

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↓金比羅宮参道には大店の旅館もありました。

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多度津界隈
多度津の遊里は三洋汽船の発着場を前に、西浜と東浜に分かれ、東浜は商店街、西浜が戦前までの遊里になっていたという。昭和の初め頃、妓楼十九軒とある。寅さん映画の何作目かは忘れたが、タコ社長が「多度津にはよい女がいたなぁ」というセリフを思い出した。
↓多度津界隈の町並み

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丸亀界隈
旧福島遊廓。明治二十年頃設立され、昭和初期には妓楼十六軒とある。
↓丸亀界隈の町並み

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↓港のそばの旧新堀遊廓。新堀港は金比羅詣での船が着く寄港地だった。
新堀界隈の町並み

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2005年4月21日

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