花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

香川県・高松

香川県の遊里跡、高松を探索してきました。
前回高松を訪れたのは04年。今回は前回見落としていた片原駅前旧カフェー街・パラダイス、城東町のソー○街を早朝探索です。日の出と共に出発進行!ネオン輝く夜の歓楽街よりも、まったりしている早朝の風景が好みです。

↓2016年8月、7年ぶりに旧パラダイス通りを探索してきました。
路地裏は変わらぬ佇まいでした。



↓早朝のソー○街はひっそりと静まりかえっている。全国遊郭案内によると東浜「八重垣遊廓」は貸座敷三十四軒、娼妓約百八十人とある。昭和二十年七月の高松大空襲で焼け野原になった後、赤線、現ソー○街となる。

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↓ソー○ランドにまじって赤線時代の建物が数軒残ります。02年発行の「赤線跡を歩く・青本」ではこの建物を含む四軒程の建物が四隅に残っているが、現在は二軒のみ。他は駐車場になっていました。

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↓琴電片原町駅前の一画に、旧パラダイス通りというカフェー街が残っています。

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↓遊里跡にはやっぱ猫!遣り手婆猫ではなく、子猫ちゃんでした。

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↓空き地も目立ちます。

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↓「カフェー」の鑑札の一軒、廃屋になっています。トイレの脇に二階へ上る細い階段。

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↓上って見たいが不法侵入、お縄になるのでガマンガマン。

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↓「カフェー」の鑑札はレベル高し!萌えます!

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↓此方は「簡易料理店」

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↓雀荘は「遊技場」の鑑札

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百間町界隈
↓百間町にある料亭「二蝶」は国の登録有形文化財の指定を受けた数奇屋風の建物。

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↓「二蝶」は料亭の鑑札でした。

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2009年6月19日

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香川県・坂出・善通寺

香川県の遊里跡、坂出・善通寺を探索してきました。
坂出の遊里跡沖湛甫界隈は下調べ不足で、方向違いの場所を歩き、金比羅宮近くと知ったのは帰路してからのことでした。
思いがけない唯一の収穫は駅近くの旧芝居町界隈の飲み屋街「カフェー」の鑑札。
善通寺は05年に探索したときの画像です。「跡」場所が特定できずお蔵入りしていました。数枚の雰囲気のある町並みをアップしていますが、あくまでも町並み散策として参考にして下さい。
↓駅前商店街から逸れた路地裏に呑み屋小路があります。

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↓ネット上に出ている坂出「浮世小路」という呑み屋街は此処のことを指すのかな?
どん詰まりに豆タイル的建物(?)を見つけましたが、犬に吠えられ無念の退散。

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↓坂出唯一の収穫、カフェーの鑑札。

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↓呑み屋街路地、裏から見ると長屋風になっています。

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↓近くにはビジネス旅館も数軒在ります。

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善通寺界隈(05年)
善通寺を訪れたのは05年の事、此と言った下調べもなく善通寺を訪れましたが、路地裏には心躍る建物が多かった。「跡」確定が出来なかったので、今までお蔵入りしていました。
↓レトロな銭湯

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2005年4月20日・2009年6月18日

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香川県・琴平・丸亀・多度津

香川県の遊里跡、琴平、丸亀、多度津を探索してきました。

琴平界隈
「夜の女性街・全国案内板」によると、森の石松が泊まったという虎屋という宿まで残っている遊興の街とあり、芸妓は四十三名とある。また、赤線は橋を渡り路地裏一帯に五十軒、百七十名程。また芸妓は五、六名を除けば泊まるともあるので、
芸妓、娼妓と棲み分けされていたのでしょうか?曖昧さいっぱいです。
↓金比羅宮参道に架かる橋、赤線は通称「赤橋」と呼ばれていました。

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↓琴平界隈の町並み

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↓金比羅宮参道には大店の旅館もありました。

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多度津界隈
多度津の遊里は三洋汽船の発着場を前に、西浜と東浜に分かれ、東浜は商店街、西浜が戦前までの遊里になっていたという。昭和の初め頃、妓楼十九軒とある。寅さん映画の何作目かは忘れたが、タコ社長が「多度津にはよい女がいたなぁ」というセリフを思い出した。
↓多度津界隈の町並み

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丸亀界隈
旧福島遊廓。明治二十年頃設立され、昭和初期には妓楼十六軒とある。
↓丸亀界隈の町並み

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↓港のそばの旧新堀遊廓。新堀港は金比羅詣での船が着く寄港地だった。
新堀界隈の町並み

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2005年4月21日

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