花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

宮城県・仙台

宮城県の遊里跡、仙台を探索してきました。
「夜の女性街・全国案内版」によると、有名な小田原遊廓は戦争中に全部廃業し、
今やゴケ横町のみ。
ゴケ横町と言うのは再開発前の東口駅前と思われるが、
仙台の遊里跡を最初に訪れたのは2005年だった。
当時はネットでも余り情報はなく、「赤線跡を歩く・緑本」の出版される前でしたので、
一通り小田原界隈を探索してみましたが、特定には至らず今回再訪となりました。

↓某所で見つけた当時の地図です。

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(更新していない為、広告が入ってしまったので、1枚だけアップします。失礼致しました。)


↓小田原遊廓だった時代の目抜き通り(05年)。

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↓スーパー西友など住宅街になった町並みは、現在も殆ど変わっていません(14年)。

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↓唯一変わったいたのは、門構えは同じく、
以前は旅館か料亭のようなお宅が、会社の事務所になっていました(05年)。

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↓現在の様子(2014年)

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↓ユースホステルの千歳館は現在も変わらず。

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(05年)

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(14年)

↓小田原界隈に在った飲食店ビル。

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山形県・瀬見温泉

以前から宿泊したいと思っていた瀬見温泉喜至楼に宿泊してきました。
遊里跡だったかどうかは分かりませんが、明治、大正、昭和と増築された風格ある佇まいは、
宿泊しているだけで愉しい宿でした。

↓時刻表の薄い陸羽東線です。
古川~鳴子温泉と途中下車しお昼過ぎに到着しました。

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↓温泉街は徒歩圏内、喜至楼は陸羽東線からも望むことが出来ます。
本館玄関と今回宿泊した部屋のある左側の建物。
1階は浴室になっています。

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↑↓フロントのある別館でチェックインして本館宿泊棟まで、館内は迷路のようです。

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↓お部屋は湯前神社を望む二階の角部屋でした。

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↓館内別館フロントから本館へ続く廊下、昭和30年代の写真が飾られていました。
大宴会場では菊人形展の催しあったようですね。

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↓此方の火鉢も冬場お部屋の暖をとる為に使用していたのでしょう。

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↓本館の廊下と2階からの眺め。ちょうど本館玄関の真上になりますね。

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↓そして本館のお玄関。女将の「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」。
随所に遊び心満載です。

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↓オマケ・今宵の夕食
今回の宿泊は本館有り有りで6000円+税。素泊まりが4000円、朝食付き4400円なので、
夕食難民にならぬよう有り有りがベストですね。
シンプルながら、このお値段だったら満足です。
しかも濾過循環無しの温泉付きですから。

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2015年6月30日



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宮城県・古川

宮城県の遊里跡、古川を探索してきました。
全国遊廓案内によると、宮城県志出郡古河町字役場前に在って、
陸羽東線陸前古川駅(検索してみると現在の駅舎より数百メートル西側に在った模様です)
より北へ約四丁、乗合自動車で役場前下車とある。
キーワードは駅より北へ約400メートル、役場の近く、そして奥州街道の宿場町。
当時の飯盛女が娼妓になったとされています。

↓場所の特定は分かりませんが、その界隈は現在呑み屋街になっていました。
まあ、街中に突如呑み屋街が生まれるということもないので、何らかの形で形成されていったのでしょうね。
此方のエリアは建物も新しくなっていますね。

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↓アーチが残る呑み屋街。
元々は路地だったんでしょう。片側は空き地になっていますね。

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↑↓アーチをくぐってみました。

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↓もうちょっと西より望みます。
此方の路地の程近く、奥州街道沿いに老舗旅館があります。
地図サイトで見ると敷地はかなり広いですね。

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↑↓奥州街道を渡り、図書館近くの小さな呑み屋街の一画。

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↓この界隈には住宅街の中に割烹店が点在しています。
その中の一軒、現在は営業をしていない様子です。

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↓オマケ・時刻表の薄い陸羽東線で鳴子温泉へ向かいます。
鳴子温泉は5年ぶり、駅近くのDX劇場はそのままに、
遠くに見える郵便局のマークが変わっていましたね。

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(2010年)

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2015年6月30日

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青森県・八戸

2014年9月21日、早朝の日テレ「遠くへ行きたい」を見ていたら、
新むつ旅館が紹介されていました。
宿泊したのが震災前2010年の夏、女将さんもお元気そうで良かった。
~~こちらのサイトは気まぐれなので、
過去の情報でも何か新しい発見があればその都度更新しますので、ご了承下さい~~

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青森県の遊里跡、八戸を探索してきました。2003年に初めて訪れた小中野、2010年再訪です。
今回の目的は「新むつ旅館」に宿泊。明治築の有形文化財の宿ですが、気さくな女将さんの話はとても愉しく、心地よい時を過ごすことが出来ました。映画「傷だらけの天使」87年では館内ロケが行われたようです。
↓今回夢叶って宿泊することが出来ました。

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↓玄関をくぐり、最初に目に付くのが広間と二階に続く階段。
明かり窓のある吹き抜けの広間は空中回廊へと続く。

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↓二階廊下から玄関を望む。

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↓裏階段

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↓今回通されたお部屋は二間続きの十四畳。他の宿泊の方が居なかったので、
旧館二階は貸切だった。麻吉旅館と同じく障子襖を全開にし、時を過ごす贅沢さ。

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↓「今年は特に暑いのよ」と女将さん談。部屋にはエアコンもないが、風が通るのでさほど暑さは感じられなかった。

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↓貴重な宿帳や大福帳も部屋にさり気なく置かれている。宿帳には遊客氏名、人相書き(小柄とか中肉とか)書かれ、相方の娼妓さんの名前も書かれている。

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↓釘隠。以前はもっとあったんだけど、お客さんが持って帰ってしまって・・・。と女将談。

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陸奥湊界隈
↓「赤線跡を歩く・緑本」に載っている小中野遊廓の一画。鍵の手のある路地とされている。当時は海がもっと近かったので、船宿が数多く建ち並んでいたが、大火の為、浦町の方へ移転してきた。

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↓旅館風の建物。

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小中野新地旧遊廓街(03年)
↓メインストリートの道幅は広い。当時は両側に大店が建ち並んでいたと思われる。現在は片側に数軒の旅館が残っています。

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↓明治時代から遊び場として栄えた旧小中野新地遊廓街。新むつ旅館は明治三十一年に建てられた。当時の屋号は「新陸奥楼」。しかし売春防止法の成立で、昭和三十二年以降旅館に転業した。現在旅館営業しているのは「新むつ旅館」のみ(10年)。

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↓小中野駅界隈の飲食街(03年)

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村重旅館(03年)
↓本八戸繁華街に残る旅館。
当時、在郷から荷物を運んで往来した馬喰と呼ばれた人たちが、馬とともに宿泊した馬喰宿の建築様式を伝える。

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↓本八戸の呑み屋街(03年)

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2003年9月18日・2010年8月27日

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福島県・飯坂温泉

福島県の遊里跡、飯坂温泉に行って来ました。
戦前の「全国遊廓案内」によると、飯坂若葉新地に在って、貸座敷七軒、娼妓は約五十人、
芸妓は此に劣らぬほどいるとあるから、如何にも温泉場らしい雰囲気に溢れて居る処だった。
また、「夜の女性街・全国案内版」では置屋四七軒に芸妓一七三名と増え、
一時は若松の東山温泉と共に歓楽温泉街だったのであろう。
地図で若葉町を検索すると福島交通飯坂温泉駅から程近くにある。
駅前のランドマーク的存在だった若喜旅館は夜の女性街・全国案内版にも登場する有名旅館だったみたいだが、
1994年(平成6年)に本館火災で5人の死者を出し、07年まで廃墟となった若喜旅館の本館が残されていたようだ。
ネット検索でも廃墟画像は数件しかヒットしなかった。

↓飯坂温泉に前回訪れたのは07年、余り下調べもせずに訪れた飯坂温泉で若喜旅館別館も撮りそびれたが、
更地となった本館跡地にはクレーン車がはいっていました。
現在は綺麗に整備され駅から一番近い共同浴場「波来湯」になっています。

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↓駅前から若葉町方面に行く通り。右手に波来湯。
左の建物は若喜旅館別館の別館だったかな?毎度の事ながら情報不足でスイマセン。
実際別館もまだ残っていたようですが、撮っていなかった。
火事のことも帰宅して初めて知りました。これまた失礼。

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↓若葉町界隈を歩いてみると、昔この通りは相当賑わっていたのかな?と思わせる路地がありました。
まあ、夜のイメージが強かった飯坂温泉ですが、現在は殆ど歓楽色はありません。
何となく気になったこの通り、スナック「バンビ」が出迎えてくれました。

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↓正面のファサード、この手のカーブを描く感じが好みです。

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↓横から眺めて見ました。

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↓脇道からの眺め。

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↓現在は営業していない様子でしたが、洒落たディスプレーしてます。
窓枠もお気に入り。

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↑↓賑わった時代の絵葉書何ぞもさり気なく飾ってある。

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↓この路地を進むと旧堀切邸に辿り着きます。
途中で見つけた更地のお宅、此所も以前は旅館だったのかなぁ。見越しの松が。

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↓バンビ、カーブのファサードの通りが一番多く呑み屋点在する。

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↑↓昭和の面影残す大型ホテルや小さな宿、有形登録文化財の宿もあり、
リーズナブルな料金で宿泊出来るようです。
なかむらや旅館、ほりえや旅館。

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飯坂温泉で大型観光ホテルといえば聚楽。
聚楽あるところ歓楽温泉街のイメージが強いのはCMの影響かな「じゅらくよ〜ん」。

↓ホテル聚楽前の通りにもスナック等が点在していました。

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↓鑑札は「バー」でした。

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過去のデジカメ情報を見ると、2007年時は郡山の大門探索後飯坂温泉に行っています。
時期、時間の経過からすると18きっぷ旅だったのかな。

今回は宿泊、ネット情報でほりえや旅館も候補だったのですが、
バイキングスタイル伊東園叶やのアルコールもフリーにまけてしまいました。

料理がどうの・・とかクチコミもありますが、昭和の面影残す大型観光ホテル探索も中々愉しめる。
毎回1人利用ですが、舞台もある大宴会場での食事は独りでも余り違和感なくなるのです。

帰宅してまたもや発見、叶やの在る飯坂温泉湯野エリアにも置屋四軒ありと記載されていた。
また数年後行きましょ。

2013年12月5日












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山形県・天童

山形県の遊里跡、天童を探索してきました。
将棋駒の産地で有名な温泉場。
自然景勝地でない市内温泉地としては山形の赤湯に似ている印象がある。
「よるの女性街・全国案内版」(渡辺寛著・昭和三十年)によると、芸者と酌婦の二本立てで、芸者は六名。花代一時間三五〇円で泊まりせず、酌婦は二七名、花代二〇〇円、泊まり一三五〇円ほど。とある。

↓歓楽街は大型観光ホテルが建ち並ぶ北側、
県道と倉津川に挟まれた一画にぎおん小路という呑み屋街があります。

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↑↓建物はビル化呑み屋街になっているので、余り街探索の面白みに欠けますが、
県道側の入口に一寸だけ取り残された一画が残っていました。

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↓倉津川側からの眺め。

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2013年12月6日

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岩手県・一戸・二戸

岩手県の遊里跡、一戸北館を探索してきました。
「全国遊廓案内」によると、一戸北館遊廓は東北本線一戸駅で下車すれば東へ約十丁の地点にある遊廓である。駅前から乗合自動車の便があって、上町万代舘前で下車すれば宜しい。

私娼か飯盛女の進化形ともされ、詳しい事は判明していないとも記載されている。
旧奥州街道宿場町からちょっと入った北館、貸座敷四軒、娼妓八人。
映画館も在り、当時の賑わった様子が感じとれます。

↓現在は三セクのいわて銀河鉄道に変わってしまった一戸駅、遊里跡探索も含め町歩きが愉しい。取りあえず万代館を目指し東へ歩いてみました。間口の広いお宅や看板建築も多かった。

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↓廃屋になっている建物。お手入れすればコミュニティセンターにもなりそうですね。
お屋根からは木も生えてしまっているし、前はゴミの集積所になっていた。
往路時は不燃ゴミがあったが、復路は集積されていました。

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↓馬淵川万代橋の袂。以前は旅館か料理屋と思われるお宅があります。

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↓手前左の路地を入った行くと、もう一棟同じような感じのお宅もありました。
窓枠の感じが同じ雰囲気ですね。右側はそのまま河原に出る事が出来ます。

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↓万代橋を渡り、正面にそびえるのが万代舘です。
コピペの情報より此方の情報の方が良いかと思われます。参考にして下さい。

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↓万代舘をはさみ、左方面は旧奥州街道、右方面は遊里の在った北館です。
丁度北館の入口あたり、スナックがあります。

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↓そのお隣にはキャバレーだったのかな? 営業はしていない様子です。
まっすぐ伸びる道は旧街道ですね。

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↓もうちょい歩くとかつてはスナックだったと思われるお宅もありました。
中央部分は看板だったみたい。

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↓北館詰まりは女マークの蔵で〆。遊里とは関係なさそうですが、何となく〆。

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↓一戸商業地図。残念ながら万代舘と北館はエリア外だったようです。

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一戸行きの列車待ち合わせ時間に二戸の町もちょっとだけ探索してみました。
帰宅後遊里跡「福岡遊廓」が二戸で在る事を知りました。貸座敷二軒、娼妓十名。
二戸の旧駅名は北福岡だったのですね。毎度の事ながら情報不足で反省。

↓40分の列車待ち合わせ街探索はかなりスピード探索ですよ。
商業地図見つけて旅館らしき建物を探す。

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↓旅館もありましたが、個人的には鹿角街道からちょっと入った此方のお宅が何となく良い雰囲気でした。袖看板もあるので、料理屋さんみたいです。

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2012年6月27日

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秋田県・男鹿

秋田県の遊里跡、男鹿を探索してきました。
秋田より1時間に1本の男鹿線に揺られ1時間強。男鹿を訪れたのは2度目ですが、
前回は位置ゲーの為の男鹿、街探索はしないでとんぼ返りでした。

↓何度も登場しているあけぼの号で出発です(上野駅13番線ホーム)。
因みに往路のあけぼの号は初めて乗車。
今回は青森までは行かず、秋田で下車しました。
列車の遅れもなく、スムーズに男鹿線乗り換え。

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↓男鹿までは登校時間の高校生に囲まれましたが、
男鹿到着後は閑散とした旧遊里跡朝の風景に変わりました。

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↓駅より山側に伸びる3本の通りには数多くのスナックが点在しますが、
何処も営業をしている様子はありませんでした。

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↓此所がメインストリート「あけぼの通り」なのかな?

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↓手前の建物の入口付近

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↓中心地の十字路辺り

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↓立派な建物なのですが、テナントが入っていないようです。

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↓此方の老舗料理屋も、一瞬にして人が消えてしまったままで廃屋になってしまったようです。
建物のみならず、軽自動車の中にもばんじゅう等がそのまま残っていました。

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↓路地裏の小さな呑み屋さん等々。

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↓あけぼの通りのあけぼのという屋号の食堂

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↓唯一生活感のある呑み屋長屋

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↓此方は駅前、船川港が栄えていた時代(昭和9年)に建てられた「森長旅館」です。
和洋折衷の建物は登録有形文化財に登録されています。外からのみ見学出来ます。

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↓上り秋田行きの列車を1本遅らせ「大龍寺」を拝観。約2時間半男鹿に滞在したことになるが、湿度低く、澄み渡る空が気持ちよい。遠くに霞んで見える山々は岩手県との県境、八幡平だとお寺の方が教えてくれました。また、あけぼの通りの呑み屋街について伺ったところ、私も嫁に来たので(多分住職の奥様)遊廓だった頃の事は分かりませんが、
最近一番賑わっていたのは1980年頃の男鹿石油備蓄基地の建設の頃だったという。
建設に携わる方々が訪れ、お金を落としていったのでしょうね。
お茶ともろこしを頂き、お庭を眺めながら時を過ごしました。

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2012年6月25日

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秋田県・湯瀬温泉

秋田県の遊里跡、湯瀬温泉を探索してきました。
「よるの女性街・全国案内版」にも記載されている湯瀬温泉ですが、現在は華やかなりし面影は殆どありませんでした。好摩から花輪線で1時間20分、山間の風景、米代川の渓谷は素晴らしく泉質もとても良いのですが、2時間に1本と花輪線の時刻表がとても薄いのが難点。まあ、日帰り温浴施設があれば、ゆっくり探索1時間、温泉浸かって1時間という時間の使い方もありますね。

「近くに十和田湖と八幡平の景勝を持つ花輪線の温泉場。芸者五一名で花代一時間二〇〇円、次時から一五〇円、泊まり一八〇〇円。秋田県出身が多く、案外美形揃いのところ。と全国案内版で紹介されています。

↓此の湯瀬温泉駅に降り立ったのは私只1人、2時間後乗車したのも1人でした。

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↓駅前観光案内所も何もありませんので、取りあえず温泉街チェック。
こぢんまりとしている温泉街のようです。これだったら30分もあれば終わりそう。

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↓温泉街への入口

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↓開いている商店は此方ただ一軒のようでした。

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↓廃業したスナックが一軒、屋号通りたそがれています。

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↓街探索は程々に「湯瀬ふれあいセンター」の温泉施設にざぶん。
ロビーには戦前の湯瀬温泉風景写真が展示してありましたので、ちょっくら失敬。

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↓冬の温泉芸者さん達ですね。木造三階建ての旅館が素晴らしい。

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2012年6月27日

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秋田県・大館

秋田県の遊里跡、大館を探索してきました。全国遊廓案内によると大館遊廓の貸座敷数は約七軒、娼妓は四十人とある。2010年探索時ははっきりとした遊廓跡は掴めませんでしたが、帰宅後ネット情報にて大館に料亭街があることを知り再訪です。

↓東大館駅前食堂。レトロな雰囲気を醸し出しています。

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↓東大館駅前から延びる駅前国際通りにはスナックなどの呑み屋が多い。

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↓東大館駅前自体が歓楽飲食店のイメージがある。

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↓大館駅前映画館「御成座」が廃屋のまま残されていました。

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2012年6月再訪。大館駅前の付近観光地図にも記載されている「大館料亭街」ですが、実際は東大館の方が近いですね。前回の探索時は情報も乏しく、一本道を間違えていたようです。
因みに料亭街のある幸町は東大館からは500メートル、大館からだと2.3キロです。

↓大館幸町には数軒の料亭があります。数年前に幹線道路が出来、桜並木と料亭街を分断してしまったようです。

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↓軒を連ねる料亭の中央に桜並木があります。数軒の料亭がありますが、
営業をしていない料亭の方が多いような気もします。

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↓此方のお宅はとても良い雰囲気を残していますね。

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↓お玄関付近と隣り合わせのスナックの入口。

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↓日没間近と逆光、帰路のあけぼの号出発時間&買い出しと時間を気にしながらスピード探索です。

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↓夕日に照らされる料亭が綺麗です。手前は料亭街を分断した幹線道路。

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↓路地裏にも営業をしていない料亭が残っています。

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↓大館駅前の御成座、売物件になっていました。

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↓土地代のみでこの価格。上物映画館はタダで頂けるようですよ。

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↓オマケ/午後7時大館の駅は閑散としていた。駅弁も売り切れ。
探索後大館駅へ向かう途中のスーパーにてあけぼの号用の晩酌セットを購入。
10分遅れであけぼの号が到着しました。3号車だったのであっという間の入線動画でした。
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2010年6月25日・2012年6月27日



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