花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

佐賀県・佐賀

佐賀県の遊里跡、佐賀を探索してきました。
夜の女性街・全国案内版によると、葉隠の佐賀市はまったくうま味のない街。芸者も繁華街の松原町辺りにおり、赤線も東佐賀駅に近い今宿橋を渡った新地二箇所総計一五〇名程度の女性がいるが余り薦められない。と記載され、それより、松原神社周辺の呑み屋の方が面白い遊びが出来るともある。

↓長崎街道佐賀宿、近代庶民生活誌佐賀遊廓に記載されている、北川副村、今宿町界隈には当時の面影を見つける事が出来ませんでしたが、長崎街道に当時の名残りこ残す思案橋(新しく架け替え)が残っていました。

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↓佐嘉神社、松原神社界隈の町並み

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↓佐嘉神社裏手の呑み屋街
松原親和通りとなっていました。

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↓親和通りはまるで迷路のように呑み屋街が軒を連ねていますが、
空き地も多く、再開発の対象になりつつあります。

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↓松原町界隈に在った旅館玉荘、お玄関まわりは洋風ですが、間口が狭く奥行きが深い、うなぎの寝床のような造りになっています。

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2007年6月28日





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佐賀県・武雄温泉

佐賀県の遊里跡「武雄温泉」を探索してきました。
↓武雄温泉街へは武雄駅より1キロ弱の距離で、江戸時代には長崎街道の宿場町とされていました。

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↓温泉街の中心に武雄温泉共同浴場(楼門、新館共に国重要文化財)があります。
この楼門は東京駅を設計した辰野金吾氏設計。大正3年に造られました。

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↓新館は武雄温泉資料館になっており、当時の様子を見ることが出来ます。
武雄温泉の歴史は古く、湯女はかなり昔から居て湯治客を慰めていたとされています。
楼門のお隣にはソープも在りました。

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↓武雄温泉新館内部

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↓武雄温泉通りから楼門を望みます。
老舗旅館は温泉通りと楼門近くにあり、近代庶民生活誌の武雄温泉に記載されている貸座敷は七軒、現在の残る同じ屋号の旅館は「旅館花月」があります。

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↓温泉通りからの脇道には、スナックなどの飲食店が軒を連ねています。

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2007年6月27日

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長崎県・佐世保・戸町鶴海

長崎県の遊里跡、佐世保・戸町鶴海を探索してきました。
↓地図サイトによると、佐世保勝富遊郭があった高天町、勝富へは佐世保駅より約1キロほどの距離です。

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↓国道35号を挟み、町並は緩やかな上り坂になっています。
勝富遊郭跡の情報は「近代庶民生活誌・14」「赤線跡を歩く・青本」と地図情報のみの探索です。
青本も数年前に撮影されたものですし、現在どのようになっているのかは分かりません。

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↓「跡」の手がかりとなる、一軒の旅館を見つけることが出来ました。

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↓「赤線跡を歩く・青本」74ページ右上、交差点付近の現在です。

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↓青本、左上の建物。ブルーの瓦と蘇鉄、木の位置は変わっていません。

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勝富町を探索後花園町へ。
花園町は戦災で全焼し、現在は市民会館、住宅街となり「跡」の名残りは全く残っていませんでした。

戸町界隈
↓長崎県戸町遊廓跡へは長崎駅より約4キロほどの距離です。
さすがに歩くことは出来ないので、駅よりバスを利用しました。

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↓戸町バス停から旧道を探索します。

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↓「赤線跡を歩く・青本」に在る、ブルーに外壁処理された木造三層楼の建物は在りませんでした。このディスカウントストアの同場所と思われます。

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↓青本に載っている「調髪館」は閉店していました。

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↓青本73ページ、右上の写真(販売機の位置が同じです)。遊郭だった通りが尽きるあたりとありますが、今回は旧道を戸町番所まで歩く事にしました。

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↓風光明媚な長崎港を望む港町。大波止から小舟に乗って戸町を目指すルートもあったようです。

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↓旧道を一周しました。梅雨の晴れ間、日差しも強くヘトヘトです。

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2007年6月27日

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長崎県・大村・早岐

長崎県の遊里跡、大村、早岐を探索してきました。
エア&ホテルで長崎入りの福岡帰り、JR切符は「長崎・ハウステンボスフリー切符」を利用しました。
長崎空港最寄り駅、大村から探索開始です。
09年早岐は再訪です。全国遊廓案内によると早岐遊郭は貸座敷四軒、娼妓三十名とある。早岐遊廓を検索すると「早岐神社から見た早岐遊郭月見町」がヒットし、月見町=田子の浦とある。
長崎空港から佐世保行きの空港バスに乗り、早岐田子の浦バス停で下車、その界隈を再探索してきました。
↓空港から路線バスで大村駅に向かいます。佐世保行きの列車待ち時間に大村の町並みをちょこっと探索。

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↓長崎街道大村宿。街道の路地裏には飲食街が在りました。

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↓飲食店街に在る美容室。両側が飲食店になっています。建物自体が木造家屋なので、この豆タイルは新しい造作なのか、以前からあった物を再利用したのかは分かりませんが、ピンクのテントと似合っています。

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↓早岐界隈(07年)
早岐は駅前に旅館が二軒、川沿いの小さな町でした。

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↓現在は営業をしていない旅館の本館(部分お肉屋さんで営業)。別館は駅前に在りました。

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↓早岐界隈

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↓田子の浦バス停界隈、このような柱を見ると「大門」とつい妄想してしまいます。悪い癖です。
実際は何のために建てられたのかは分かりませんが、文字部分が塗りつぶされていました(09年)。

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↓木造三階建ての建物。空家のようでした。

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↓此処は平戸街道になっています。

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↓早岐神社から見た田子の浦界隈。中央に木造三階建てのお宅が望めます。

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2007年6月27日

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