花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

群馬県・高崎

群馬県の遊里跡、柳川町を探索してきました。
群馬県は日本最初の公娼廃止県なので、私娼が発達しているとある。
赤線は柳川町界隈に八十軒、二百五十名。
↓柳川町界隈の町並み

2007_0118_132656AA.jpg

2007_0118_132557AA.jpg

2007_0118_132635AA.jpg

2007_0118_132718AA.jpg

2007_0118_132851AA.jpg

2007_0118_133258AA.jpg

2007_0118_133648AA.jpg

2007_0118_134049AA.jpg

2007_0118_134611AA.jpg

2007_0118_134457AA.jpg

2007_0118_133111AA.jpg

2007年1月18日

スポンサーサイト

PageTop

群馬県・磯部・富岡

群馬県の遊里跡、磯部、富岡を探索してきました。
↓「よるの女性街・全国案内板」によると、信越に入ればまず女の名所は磯部温泉。温泉街と背中合わせの二本木が芸者と私娼の混成花街。とあるが、現在の磯部温泉は歓楽色は殆ど無かった。

_20080814_151758.jpg

↓かつての温泉街メインストリートと思われる通り、数軒のスナックが並びます。

_20080814_141614.jpg

_20080814_133348.jpg

↓温泉街と背中合わせの駅近くの通りに「芸妓組合」があるが、現在は無人のようでした。

_20080814_140524.jpg

富岡界隈
↓富岡製糸場の世界遺産登録で町興しをしている群馬県富岡です。高崎から上信電鉄で30分ほどの所にあります。 此といった色街の情報はありませんでしたが、数軒の料亭と歓楽色のある飲み屋街路地裏、通りの名称も「城町通りネオン会」とあり、思った以上に愉しめる町並みでした。
実際、富岡は信越磯部温泉とは5キロ程しか離れておらず、鉄道を使うと時刻表の関係で時間がかかるが、バスだと数十分(現在路線バスは無し)で行ける距離です。

_20080814_114130.jpg

_20080814_111825.jpg

_20080814_111937.jpg

↓富岡製糸場のある界隈には料亭、スナックなどの飲食店が多く点在しています。

_20080814_112251.jpg

_20080814_112331.jpg

_20080814_113549.jpg

_20080814_113500.jpg

↓趣のある食堂?甘味処? 此処で「氷」を食した知人によると、開店当時そのままのかき氷うつわに感動しておりました。当方、時間が無く立ち寄ることが出来ませんでした。残念!

_20080814_112745.jpg

_20080814_112009.jpg

_20080814_112209.jpg

2008年8月14日

PageTop

茨城県・那珂湊

茨城県の遊里跡、那珂湊を探索してきました。
江戸時代から続く大洗遊廓は吉原、潮来と並び、関東三大遊郭としての誇りがあり、その格式は天下に響いていたという。その大洗遊郭が那珂湊と久慈浜に分散、二つ合わせて約百軒、四百名というのだから相当のものだったであろう。

↓常磐線勝田駅から湊線で約10分。那珂湊は江戸時代には舟運で栄えた町でしたが、鉄道の開業後、舟運が寂れてしまいました。現在も乗降客は疎ら、近くのお魚市場にはマイカーでの買い物客で賑わっていました。

_20080807_135109.jpg

↓「跡」探索には地元の商工地図が結構役に立ちます。旅館や料亭、飲み屋街が当時の歓楽街の目印になります。

_20080807_113800.jpg

↓現在は賑わった当時の面影は殆ど残っていませんでした。
唯一、湊公園の麓、天満宮の参道界隈に飲み屋街が残っていました。

_20080807_115014.jpg

_20080807_115044.jpg

_20080807_115259.jpg

_20080807_115417.jpg

_20080807_120529.jpg

_20080807_114153.jpg

↓趣のある建物。現在は倉庫になってるようです。

_20080807_114533.jpg

↓那珂湊と大洗を結ぶ海門橋。大洗遊郭が在ったと思われる祝町まで歩いてみましたが、面影は全くありませんでした。数軒の観光旅館と水族館アクアワールド大洗に変わってしまったのでしょうか。大洗から那珂湊を望みます。

_20080807_123416.jpg

2008年8月7日

PageTop

山形県・上山・赤湯・米沢

山形県の遊里跡、上山、赤湯、米沢を探索してきました。
福島から米沢行きの奥羽本線は、山形新幹線を除くと時刻表が薄い路線です。秘境駅で有名な「赤倉駅」もあり、途中下車もままならぬ路線、ノンビリゆっくり18きっぷでまわってきました。
昭和30年代の「よるの女性街・全国案内板」上の山では置屋九軒、芸妓三十二名とあるが、全般的にはそば屋にも駄菓子屋にも置いているといった酌婦だったと記載されています。

↓かみのやま温泉街入口アーチと緑色豆タイル柱の建物。新湯界隈には温泉旅館が並びます。

_20080731_154237.jpg

↓緑色豆タイル柱の建物は以前は映画館だったと思われ、入口付近に券売窓口がありました。
現在はお花屋さんの倉庫になっています。

_20080731_161654.jpg

↓緑色豆タイル柱の建物の裏は呑み屋になっていました。

_20080731_153822.jpg

↓仕出屋の建物

_20080731_153901.jpg

↓緑色豆タイル柱の建物の路地裏には仕出屋、和洋折衷の旅館、栗川稲荷神社に続く参道参道があります。路地裏歩きが愉しい一画です。

_20080731_154037.jpg

↓和洋折衷の旅館。

_20080731_154102.jpg

↓現在は営業していない旅館と思ったのですが、
此方は旧館。新館は営業中で従業員の寮的な建物になっているようです。

_20080731_155222.jpg

赤湯界隈
↓赤湯の温泉街は駅より3キロほど離れていて、バス路線も余りないようだった。時は夕刻、歩き疲てきたのでタクシーにて温泉街へ。ひと通り温泉街を探索してみる。旅館自体が点々としていて余り温泉風情が感じられない温泉街だった。メインの道路を挟み、旅館街とは反対側に歓楽色のある呑み屋街が在りました。

_20080731_172357.jpg

_20080731_171813.jpg

↓空き地も目立ちます。

_20080731_172029.jpg

_20080731_172322.jpg

米沢界隈
↓2008年7月、18きっぷ「跡」探索。福島、山形をまわり、宿は米沢に宿泊。
翌日早朝より米沢福田遊郭跡を探索します。
福田遊郭跡、区画に名残があります。

_20080801_052323.jpg

↓相生町の当時の区画だったと思われる一画。

_20080801_052445.jpg

↓現在は営業していない旅館がありました。

_20080801_052638.jpg

_20080801_052713.jpg

_20080801_052743.jpg

_20080801_052934.jpg

↓一画の外れに在った小さな祠

_20080801_053016.jpg

↓相生町から町の中心街へ探索します。

_20080801_055137.jpg

↓現中央町界隈には歓楽街的呑み屋が軒を連ねています。

_20080801_055222.jpg

_20080801_055204.jpg

↓「吉亭」江戸時代末期から商家を営んでいた吉澤家の建物、現在は料亭になっています。

_20080801_061425.jpg

↓こちらも探索中に見つけた趣のある料亭。

_20080801_062350.jpg

_20080801_062332.jpg

↓米沢駅前の「音羽屋本館」明治三十四年創業の老舗旅館で、こちらの建物は昭和十二年築。
和洋折衷の建物になっています。

_20080801_065506.jpg

↓早朝米沢「跡」探索は5時より朝食前の約2時間6キロでした。
夏場の跡探索は早朝に限ります。帰路はさすがに新幹線利用です。

_20080801_065656.jpg

2008年7月31日・2008年8月1日

PageTop