花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

岩手県・宮古・久慈

~~先般の大震災で被災された皆さまには心よりお見舞い申し上げます~~

岩手県の遊里跡、宮古、久慈を探索してきました(2010年)。
鉄道乗り潰しを兼ねて三陸「跡」旅。時刻表の薄いのが難点ですが、釜石線・山田線・岩泉線・三陸鉄道・八戸線をノンビリ乗り継ぎ鉄道旅を満喫!一般観光龍泉洞も愉しんで来ました。
↓「大正時代に全盛を迎えた鍬ヶ崎上町には多くの料理屋と遊廓が軒を並べていた」と月刊みやこわが町(2001年6月号)の特集「鍬ヶ崎哀歌」に記載されています。

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↓上町のメインストリート

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↓常安寺別院への参道。昭和初期の上町界隈略図には「旭屋」「開清庵」の屋号が記載されています。

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↓参道から港を望みます。当時、この参道を下り、海岸へ向かう途中に「有楽座」という芝居小屋が在ったとされています。

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↓銭湯

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↓宮古駅前の呑み屋街

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↓月刊みやこわが町、商業地図、現在の区画地図を眺めていると、華やかかりし当時の鍬ヶ崎をついつい想像してしまいます。格の高いとされた「相馬屋」→食事処相馬屋。太郎兵ヱ屋の隣に在った宮喜楼→太郎兵ヱ屋は酒屋さんのようですね。

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月刊みやこわが町(2001年6月号)
↓「いつかは行こう宮古へ」っと思い、数年前に購入した「月刊みやこわが町」。大正から昭和初期の鍬ヶ崎花柳界が特集されています。良く読んだつもりですが、実際現地を訪れると見落とし多し、毎回帰宅後の反省です。

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女弥次喜多 タッチ旅行(1963年・松竹)では当時の鍬ヶ崎界隈の様子がロケされていました。
宮古での安宿探しで、タクシーの運転手が紹介したところが旧遊廓の転業旅館。
テレビからのデジカメですので、その点ご了承下さい。
↓メインストリート、冒頭の妓楼が写っています。

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↓メインストリートから海側を眺める。セットではないと思うので旅館が建ち並んでいたのですね。

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↓おっさんは勿論役者さんです。

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久慈界隈
↓上村行彰著「日本遊里史」(1929年)によると、久慈市荒町に貸座敷七軒、娼妓約十七名とある。現在の荒町にはその面影は全くなく、通り沿いに二軒のビジネス旅館が在るのみ。仕方がないので、荒町バス停の足跡残し。

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↓荒町川沿い橋の袂に一軒の古そうな建物を見つけました。個人宅ではなさそうですが、外壁リフォームを取り外すと旅館のような気もしますね。

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2010年1月21日

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