花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

京都府・島原

京都の遊里跡、島原を探索してきました。
島原が現在の位置である朱雀野の一画に定められたのは寛永十七年(1640年)頃のこと。
戦前の「全国遊郭案内」によると百四十八軒に四百三十五名とある。
島原を初めて訪れたのは03年のこと。以後数回訪れているが、同筋の建物は新しく建て替えられ、
当時の名残も薄れて来たような気もするが、喫茶として営業をしているきんせ旅館もある。

↓現在も変わらぬ風情を残す島原大門(03年)

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↓角屋、輪違屋など国や市の登録文化財に指定されている建物は現在でも残されているが、
脇筋の戦後赤線時代の建物は殆ど姿を消している。

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↑↓島原・角屋(2003年)

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↓輪違屋は元禄年間創業の置屋。京都市指定有形文化財に指定されているが、
一般公開はされておらず、観覧謝絶の札が見えます。

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↓大門をくぐり、胴筋へ。胴筋は江戸吉原の仲之町にあたる通り。
現在も通りの両側に数件の古い建物を見ることが出来ます(03年)。

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↓妓楼のたたずまいを残すきんせ旅館。数年前から飲食店として営業中です。

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↓2011年2度訪れました。入口には看板もなく敷居が高そうですが、扉を開けると異空間が広がります。

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↓初めは昼間の喫茶タイム。

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↓夜のバータイムも雰囲気があります。

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↓夕霧太夫は大坂新町の太夫さんですが、嵯峨清涼寺の近くで生まれ、
京都の嶋原から 大坂新町の太夫になったといわれています(嵯峨清涼寺)。

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2003年2月25日・2011年10月2日

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