花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

東京都・板橋仲宿

東京の遊里跡、板橋宿を探索してきました。

↓石神井川にかかる橋。この橋の名が江戸時代以降の宿名になっています。何度も架け替えられ、現在の橋は昭47年に架け替えられたもので、コンクリート製である。

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中山道の宿場町、板橋仲宿は過去3回訪れていますが、今回は再開発その後で探索をしてきました。
↓08年から4年が経ち旧道裏の路地裏は高層マンションに変わっていました。正面旧道沿いの銭湯。

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↓08年だと風呂屋の煙突が見えます。

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↓殆どの呑み屋街は解体されてしまいましたが、昭和の面影残す一画だけはそのまま残っていました。

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↓03年の風景

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08年再開発解体が始まりました。↓

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↓板橋観光センターの向かい側の建物もそろそろ解体のようです。

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↓この界隈は板橋仲宿で最も栄えた場所、板橋遊郭中最大の規模を誇った新藤楼。木造三階建て唐破風造り明治築、玄関だけは区の資料館に保存されています。

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↓現在の旧新藤楼があった場所。

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↓板橋区立郷土資料館に新藤楼玄関が保存されています。
玄関だけを見るとちょっと間抜けした感じもありますが、修復保存は良いことですね。

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↓真言宗豊山派の寺院。本尊は文殊菩薩。本堂の脇から墓地に入ると遊女の墓がある。

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その他、板橋宿には飯盛女(遊女)に纏わる史跡も多く残る。
↓文殊院の遊女の墓。

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↓遍照寺の「千代本楼遊女道中扁額」もあるが、堂内にあるので一般は見ることが出来ないようだ。

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↓観明寺境内の玉垣に楼閣の屋号が刻まれていました。

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2003年3月15日・2008年2月21日・2012年2月18日

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東京都・玉ノ井

スカイツリー効果で活性化しつつある東京城東地域、玉ノ井を再訪してきました。

戦前は玉の井、戦後は鳩の街。小説や映画の舞台になった色街は現在の東武東向島駅をはさみ南北に分かれています。玉の井は大正7、8年頃より許可がおり、震災後には浅草等から移って来た業者により、玉の井駅の東側の田圃が埋め立てられました。 玉の井名物ラビラント(迷路)「この道抜けられます」「ちかみち」はもともと湿地帯だったところに、各人が勝手に家を建てた為、迷路のような路地が出来上がったと言われています。
現在の玉の井は東向島駅から高架沿いに鐘ヶ淵方面にしばらく歩き、いろは通り商店街に入ります。
戦前はその右側が「抜けられます地区」。戦後は全焼した右側の区域に代わり、北側の辛うじて焼け残った住宅を利用して再開されましたが、昭和33年の売春防止法成立により次第に姿を消していきました。今ではその大半が住宅、マンションに建て替えられましたが、わずかに当時の建物をそのまま使っている家々やスナック、飲み屋にその名残りがあります。

玉ノ井を初めて訪れたのは2001年で、知り合いから教えてもらった木村聡著「赤線跡を歩く」を読み、何故かカフェスタイルの豆タイルに心惹かれたのが跡探索をの始まりだった。
↓此方の建物は06年探索時に撮影。現在は残っていない。

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↓戦後の赤線時代の玉ノ井、目抜き通りだった通りには現在も3軒のスナックが並んでいます。

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しかしながら、向かい側は更地になっていました。

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↓三軒並ぶスナックも一軒は休業中のようです。数年前の画像ではスナック花月でした。現在は白看板。
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数年ぶりの玉ノ井探索ですが、界隈を隈無く歩くとまだまだ新しい発見もありました。
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↓此方のスナックは石のような壁紙で外壁リフォームをされている。

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↑よく見ると壁紙が剥がれ、縁取りにグリーンのタイルが見えます。鑑札は「簡易料理店」。
路地裏界隈。↓

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↓此方のお宅は玉ノ井のランドマーク的建物ですね。以前TVオンエア、アド街「東向島」でも12位で紹介されていましたね。
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↓2001年探索時に見つけたお宅も忽然と姿を消してしまいました。

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2001年12月20日・2006年7月27日・2012年2月17日

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東京都・芝神明・麻布十番

東京の遊里跡、芝神明、麻布十番を探索してきました。
芝神明界隈の町並み
↓芝大明神の門前町に江戸時代以来の花街の名残が残っている。当時は芝神明芸者として賑わっていたそうです。

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↓04年探索時には原型をとどめていた建物も今回12年再訪時はかろうじて残ってはいるものの、
廃屋になりベニヤ板で囲まれた姿は時の流れを感じる。

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↓04年芝神明の町並み

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↓04年当時から美容室跡もそのまま残っていました。

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↓2階部分の手摺りもそのままに、目まぐるしく変わる東京、
それも都心ど真ん中で時がとまった空間です。

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↓以前は見番だったと思われる建物。

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↓此方も雨戸とベニヤ板で囲まれてしまっていました。

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↓現在の麻布十番は当時の面影は全くなく、唯一料亭風の外壁が残っています。建物はなく駐車場になっていました。

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2004年10月28日・2012年2月18日

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東京都・鳩の街

東京の遊里跡、鳩の街を探索してきました。
最初に鳩の街を訪れたのは2002年で、浅草から東武電車で三つ目の東向島駅(旧玉ノ井駅)で降り、水戸街道方面へ10分ほど歩くと鳩の街商店街があります。今日ではほとんど目立たない商店街入口、注意して歩かないと通り過ぎてしまいそうな商店街も、戦後は新興のカフェー街として、山の手の男も通ったといわれる戦後派の私娼街。
もともとは罹災した玉の井の業者が玉の井と向島花街の中間にあたる、焼け残った住宅地に目を向け、カフェー風の町並みが整うようになったと言われています。
鳩の街特飲街は昭和33年の売春防止法成立とともになくなりましたが、現在でもところどころに、壁や柱に模造タイルで彩られたかっての娼家が残っています。

さらにここの地名「鳩の街」は洲崎が東陽3丁目、吉原が千束4丁目、玉の井が東向島5丁目と旧地名から新地名に変わっているのにも関わらず、今日でも「鳩の街」という名前を残しているところもいい(住所は東向島1丁目)。
鳩の街を舞台にした映画、永井荷風の「春情鳩の街」より、「渡り鳥いつ帰る」(昭和30年久松静児監督)があります。
09年に火災があり、二軒長屋一棟を含む二棟、一軒の豆タイル建物が消失してしまいました。幸い出火時は無人で、怪我人はいなかったようです。

↓水戸街道からの鳩の街商店街入り口.
つい最近まで「鳩の街商栄会」の大看板が掛かってあったという(2002年)。

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↓メインの商店街は水戸街道より墨堤通りまで続く。
当時の建物の名残は一歩裏路地に入った所に多く残る。

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↓二軒長屋風の建物、モザイクタイルが残る。

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↓外壁はリフォームされているが、入口だったと思われる丸柱が残る。

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↓角店カーブが綺麗なお宅。右側入口と2階の格子窓は当時のままと思われる(旅館桜井)。

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↓のんびりと猫がお昼寝の軒先。

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↓09年の火災後、10年に再訪。二軒長屋一棟を含む二棟が燃えたそうです(10年)。

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↓11年再訪。

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↓旅館桜井

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↑↓どちらが本当の玄関か分かりません。
気になるのが消化器下のガス元栓が切られているように思えます。無人でそろそろ取り壊しかも知れませんね。

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↓勝手口もあります。

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↓昭和30年代の鳩の町。スカイツリー効果でこの町も変わっていくのでしょうか・・・。

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2002年12月22日・2010年1月2日・2011年4月24日・2012年2月17日

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東京都・駒込

東京の遊里跡、駒込を探索してきました。
「赤線跡を歩く・2」特集・東京の小さな花街を歩く「全国花街めぐり」によれば大正十年頃に出来た新花街で裏側は一面の田んぼだったとある。アザレア通り商店街を抜けた駒込1丁目交差点辺り。

↓赤線跡を歩く青本画像の現在です(06年)。「呉服店いねや」は建て替えられ新しい建物に建築中でした。居酒屋「神明」は同じ位置にありますね。

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↓昭和の初め頃、芸妓置屋七十八軒に芸妓二百二人。料亭二十一軒。待合六十七軒とあるが、現在は殆ど名残はなく数軒の呑み屋が軒を連ねている。

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↓数年前に探索したのだが、探索していたことを忘れていた。

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前回探索時名残がなかったので、記憶にも残っていなかったのかも知れない。

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今回の収穫は鑑札1枚、「簡易料理店」だと余り萌えない。レベル高しはやはり「カフェ」の鑑札だなぁ。

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東京都・柳橋

東京の遊里跡、柳橋を探索してきました。
神田川が隅田川に落ちる柳橋。江戸末期からの花街で、柳橋の袂にあった亀清楼(現在はビル料亭)をふりだしに、隅田川湖畔に料亭が軒を連ねていた。

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↓平成十一年、料亭「いな垣」が休業

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↓昭和三十年代頃、芸妓四百人いたという柳橋も現在は殆ど名残は残っていない。
唯一料亭の名残を残す「傅丸」。

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↓名残は殆どなくなっているが、料亭風の名残のある建物は所々に見受けられ、路地裏探索の愉しみがある。

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↓ビルとビルの谷間にちょこっと望む建物だったり。

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↓総武線から望める料亭風の建物は・・・。

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↓リフォームでごく普通の建物だったりもする。

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↓石塚稲荷の玉垣、妓楼の屋号を見るのも愉しい。

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↓石塚稲荷神社

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↓柳橋の旧料亭街からはちょっと離れますが、駅近くの居酒屋、この様なファサードが個人的に好みです。

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↓ちょっとアップで・・・。

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2006年2月23日・2012年2月12日

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