花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

東京都・洲崎

東京の遊里跡洲崎を探索して来ました。
「全国遊郭案内」によると明治十二年に本郷根津から移転してきたもので、移転当時は僅か数十軒の仮宅だったが、何時の間にか洲崎遊郭と呼ぶようになり、全盛期では妓楼二百六十八軒、娼妓約二千五百人となったと記載されています。また、映画等でも川島雄三監督作品「洲崎パラダイス・赤信号」、坂東玉三郎監督作品「夢の女」の題材にもなっています。03年に初めて訪れて以来、暇を見ては訪れているのですが、今回「大賀」の取り壊し情報にて再訪してきました。
↓東京湾の埋立地に移転してきたもので、周りを掘割に囲まれた遊廓だけの町だった。「吉原大名、洲崎半纏」と言われたとおり、木場の職人衆の鳴らしたシマであり、戦後は赤線として洲崎橋を渡った西側を住宅地、東側をいわゆる赤線、特飲街にまとめられた。

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↓現在はアーケードになっている小売店の並ぶ商店街も、屋根、外壁を見ると赤線時代の建物である事がわかる。
タイル張りの円柱の柱、アーチ状の屋根等。

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↓アーケード(2012年)

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↓アーケード(2014年)
久々に再訪。取り壊された事はネットにて知っていましたが、
名残無く新しいマンションが建っていました。時の経つのは早いものです。

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↓東側通り(03年)洲崎遊廓は空襲で全焼。戦後は東側の半分だけが特飲街として残された。

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↓アパートとして現役の建物。ピンクの屋根、グリーンの豆タイルが綺麗(現存せず)。

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↓上の建物を入口付近からデジカメ(現存せず)。

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↓入口にピンクの豆タイルが残っています(現存せず)。

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↓当時は三つの扉を持つ建物だったと思われる建物。

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↓定食屋(03年)当時の外観をとどめている建物、1階は飲食店になっています(現存せず)。

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↓大賀(03年)現在「大賀」は選挙事務所になっていました(現存せず)。

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↓取り壊しの情報にて再訪。新しく新築戸建てが建設中でした。

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2003年3月6日・2010年6月15日・2012年2月4日

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京都府・島原・輪違屋

2014年「京の夏の旅文化財特別公開」、輪違屋に行って来ました。
元禄年間(1688~1704)の創業以来320年以上も営業を続ける輪違屋は饗宴の場である「揚屋」の角屋に対して、太夫や芸妓を抱える「置屋」である。現在の建物は安政4年(1857)に再建されたもので、京都市指定文化財になっています。
詳しい歴史などはサイトを参照して下さい。

↓普段は「観覧謝絶」の札が掛かっていますが、今回の特別公開は10年ぶりだとか、
午前10時開館5分前に到着。夏の京都は暑いので午前中の方が良いですね。
バスツアーの団体さんもまだ来ていない時間帯がお勧めです。

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↓お玄関で観覧料金600円を払い上がります。勿論エアコンなどはありませんので、団扇は必需品です。

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↓今回公開されているのが、一階の「主の間」、二階の「傘の間」、「紅葉の間」、「太夫の間」、一階のみ撮影が許されています(大階段はNG)。暖簾をくぐると主の間に続きます。
暖簾の左手にはお二階へ向かう大階段があります。

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↓暖簾をくぐると中庭を望み主の間へ。暑いけれど風が抜け心地よいです。

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↓主の間からの眺め。

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↓主の間の襖には、昔、太夫さんたちがお客さんに贈った和歌の色紙が貼られています。
今でいう営業のためのメール、艶文ですね。
狂言「廓文章」だと勘当された伊左衛門が夕霧からの艶文を張り合わせて、紙衣にして着ていました。

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↓その中の一枚。

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↓東側(道路に面している)のお庭。切支丹灯籠があります。

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お二階は撮影NGの傘の間、紅葉の間。元々輪違屋の建物は置屋建築。明治になってお茶屋にするまでは、当代の主人の部屋だったという。一階の主の間は書院造で、そこを家族の居間のように使っていたともいわれています。
詳しい情報は高橋利樹著・京の花街「輪違屋」物語・PHP新書をご覧下さい。巻頭カラー写真で紹介されています。

2014年7月31日












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