花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

京都府・五番町

2016年10月、5年ぶりに再訪してきました。
過去記載と被っていますが、スライドショーにしてみました。
千本日活手前のお宅は取り壊されていました。
ちょっとだけ景観が変わってしまいましたね。



京都の遊里跡、五番町を探索してきました。
西陣新地が正式名称で五番町は通り名。九十三軒、二百七十二名とある。
五番町を初めて訪れたのは2003年だった。
↓此方の風景は現在も変わらない(五番町・千本日活(2003年)

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↓五番町・千本日活(2011年)

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↓千本通りから仁和寺街道に入ると五番町の中心部にさしかかる。
数年前まであった木造の建物は駐車場になっていました(03年)。

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↓唯一目印となるスナック「ボレロ」です。銭湯は住宅に、
「ボレロ」隣の駐車場はデイサービスセンターになっていました(07年)。

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↓ボレロの袖看板がなくなっていました(11年)。

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↓五番町・銭湯(2003年)

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↓元銭湯が在った場所は住宅になっています。07年訪れた時と同じく。

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↓2003年に訪れた時の五番町、07年、11年と再訪しましたが、
現在は何処の場所だったかははっきりと覚えていません。
赤線跡を歩く・青本「石梅楼」を見ることが出来なかったのが残念です。

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2003年4月25日・2007年4月26日・2011年12月12日

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鹿児島県・鹿児島

2016年10月再訪してきました。
此方の記載と被りますが、スライドショーにしてみました。
かの有名なカフェスタイルの建物は更地になっていました。



↓鹿児島県の遊里跡、旧塩屋町を探索してきました。
旧塩屋町に廓が設けられたのは明治の半ば頃。昭和初年には二十三軒の妓楼と娼妓約三百五十名という。
当時の沖の村遊廓跡、メインの通りより外れた場所は現在ソープ街になり、ひっそりと当時の面影を残す建物が残っていました。

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↓モルタルモザイク調の建物も、奥行き部分は木造建築です。

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↓呑み屋のある小路

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↓行こか戻ろか「思案橋」。全国津々浦々花街の入口に多く見られる思案橋です。

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↓赤線跡を歩く・青本 P77の妓楼は更地になっていました(05年)。

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↓思案橋から城南交番を見る辺りに沖の村遊廓、大門があったと思われます。当時のメイン通りはローソン側、
現在はマンション、スーパー等が建ち並んでいました。

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↓南九州梅雨明け前日。暑い暑いと言いながら、探索歩いた歩数27448歩!天文館路地甘味処で地元のオバサマ達にまじって「白熊」を食す。ちなみにこれは「こぐま」です。

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2005年7月13日



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↑↓2011年再訪。モザイク調の建物は残っていました。

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2005年7月15日・2011年2月25日・2016年10月27日






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