花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

山口県・特牛・肥中

山口県の遊里跡、特牛、肥中を探索して来ました。
江戸時代北前船の寄港地として栄えた港町。
特牛・肥中港、現在では最寄り駅からのバス路線も少なく、ひっそり静かな港町でした。
朝7時8分の山陰本線長門市行きに乗り(長門市乗り継ぎ)、特牛には8時30分に着いた。とはいっても特牛駅からは特牛港に行くバスは出ていない。徒歩でも4キロ弱はある。3キロ4キロは歩けない距離ではないが、平坦とは限らない。ふたつ先の長門二見から特牛経由肥中行きの路線バスが出ているので利用する(此方も本数少なく必ずとも山陰本線上り、下り電車に合わせるようには出てはいない)。終点肥中までは400円(09年)。

↓終点肥中のひとつ手前が特牛港。特牛港バス停で下車する。渡辺憲司著「江戸遊里 盛衰記」には古老の回想として当時のお茶屋の位置を記載している。港の南側海近くに髪結所、それに続いて五軒は旧道沿いとある。その界隈を探索してみることにした。

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↓当時妓楼だったかどうかは確信出来ないが、数軒の趣のある建物が残っていました。

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↓ここ恵比寿神社はお茶屋の在った旧道沿いから海に向かって400メートル程の距離。遊女達は夕刻になると散歩がてらお参り行ったという。

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肥中界隈
↓帰路のバス時間までは2時間弱はある。特牛探索後、ひとつ先の終点肥中まで歩く事にした。
恩徳寺の境内。左に結びイブキ、右側の祠の中にさすり地蔵が納められています。

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↓推定樹齢450年の結びイブキ

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↓遊女達の信仰を集めたという「さすり地蔵」

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↓恩徳寺さすり地蔵の由来。読みにくいかと思いますがご参考まで。

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↓恩徳寺から肥中港を望みます。

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2009年3月5日
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