花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

北海道・江差

北海道の遊里跡、江差を探索してきました。
↓「全国遊廓案内」によると明治三十二年の大火後、翌年には復興し妓楼五十軒に娼妓二百八十人とある。当時は漁場の鰊も全盛期であり、遊廓も漁期ごとに集合離散があったという。つい最近まで営業をしていた松月旅館(旧松月楼)は休業中。

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↓バス停に新地町の名残残る。

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↓松月旅館を横から眺める。

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↓松月旅館見越しの松

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↓表通りのスナック入口

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↓松月旅館をはじめ、奥行きのある木造家屋が並びます(壱)の建物。元々旅館だったのでしょうか?表通りと裏通りに飲み屋の入口があります。

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↓裏通り新地東町の呑み屋街。(壱)の建物の裏側。

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↓袋小路のスナックも同じ(壱)の建物です。

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↓松月旅館から新地町の東側を望む。

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↓ほぼ同じ位置から松月旅館を望む。当時の繁華街は現在の商店街になっています。区画は当時のままと思われ、鰊御殿とも言われる廻船問屋街から見ると遊廓の在った場所は山の手だった事が実際歩いてみると分かります。

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↓新地稲荷神社。かなり朽ち果てています。

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↓新旧と商業地図がありましたが、此方は若干古めの地図のようです。

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2010年6月30日
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コメント


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懐かしいです!(^^)!

懐かしい写真を見て当時を思い出しました。私は1970年代後半から毎年旅館松月に団体で宿泊しました。多分20年位は連続して
特に夏にお世話になりました。私も後期高齢者と呼ばれる年となり
若い時の思い出を辿ろうと考えて松月を検索したら、今は薬のチェーン店になってました。昔の知人に聞いても経営していた関寺さん
ご一家の消息が分かりません。娘さんが帳場で切り盛りしていた姿を思いだし【今は多分50代後半位かな?】一言御礼を申し上げるかまたは挨拶の手紙を出そうにも行方が分かりません。ここに書き込みするのは筋違いとは承知してますが、関寺さんの消息をご存知の方がこのコメを見ましたら、上記のPCメルアドへお知らせ願えると幸甚です。

札幌戦後派 | URL | 2016-10-05(Wed)12:29 [編集]