花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

新潟県・高田

新潟県の遊里跡、高田を探索してきました。
「全国遊廓案内」高田遊廓は栄町にあり、貸座敷十九軒、娼妓百三十と記載されている。
また、昭和30年発行の「よるの女性街・全国案内版」貸座敷数はそのままに娼妓数が七十三名と若干減っています。現在栄町は住宅街になり面影は殆ど残っていません。

高田駅を挟み東北へ約1キロの場所が栄町、その反対側東南の田端町(現仲町)はかつての花街であり、現在でも老舗料亭、呑み屋が多く点在している。「よるの女性街・全国案内版」では、置屋十三軒に五十名と記載されています。

↓旧下田端町、雁木に通りには呑み屋が多いが、休業中の店舗もあります。

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↓此方の小路は休業中でした。

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↓恐る恐る小路を探索。

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↓風俗営業の鑑札のあるスナック。営業はしていませんでした。

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↓下田端町は肴商売などの特権を与えられており、その問屋を田端問屋と呼ばれていたそうです。

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↓田端界隈商業地図

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↓下田端町町名由来に書かれているとおり、料亭「宇喜世」は百年以上も続く老舗料亭です。
明治の末に陸軍十三師団を誘致し、高官達が三階の座敷から金谷山を望んだといわれています。

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↓国登録有形文化財にも登録されている「宇喜世」、浄興寺大門通りに面した茅葺き門と塀、
ちょっとだけ庭園も覗かせて頂きました。

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高田の町並みは遊里跡探索以外にも、趣のある建物が残っていて町歩きが愉しい。
明治の末陸軍誘致した頃から、西洋風の旅館や娯楽施設が流行り、看板建築や意匠を凝らしたファッサードも数多く見受けられました。

↓明治44年に芝居小屋「高田座」として建てられた「高田世界舘」は内部見学可能です。

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↓先日NHKのクローズアップ現代、フィルム映画の灯をを守りたいで三重県伊勢の映画館「進富座」が紹介されていましたが、此方の映画館もデジタル上映時代にフィルム上映が難しいと思われ、2階席の最前部にはプロジェクターが置いてありました。

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↓クラシックなハリウッド映画や黄金時代の日本映画をフィルムで観てみたくなる映画館です。
2階席からスクリーンを望みます。

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↓サインあれこれ。映画「シグナル」は此所でロケされていたのですね。

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↓高田本町通り、高田世界舘の並びには明治築の旧洋食店「牛丸」もあります。
現在は電機店。

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↓文化財指定にもならないような昭和の駅前旅館的な建物も好きです。

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↓再び遊里跡探索。高田遊廓は北本町から「一本橋」を渡った所に在りました。
始まりは元禄年間と古く、明治五年の解放令に依って一時廃止されたが、間もなく認可されたという経緯を辿っています。一本橋から旧廓方面を望みます。

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↓地図サイトで見ると何となく区画の名残が感じとれますが、
新築のお宅が多いです。足跡付けに電柱1枚。

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2012年6月24日

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