花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

石川県・和倉温泉

石川県の遊里跡、和倉温泉を探索してきました。
「よるの女性街・全国案内版」によると、「都会つ気を全く離れた石川県は七尾湾の海つ端に建つた温泉宿二六軒。正調オワラ節を歌える芸者が約一〇名、能登女の情緒を満喫させてくれる若い芸者が三十二名ほどいる」と記載されています。
現在の和倉温泉は「加賀屋」等の高級老舗旅館をはじめとする旅館が建ち並び、歓楽色は殆どありませんでした。

↓旧和倉検番跡
此方のお宅が検番跡なのか、駐車場空き地が検番跡だったのかは分かりませんが、
此方に和倉検番が在ったようです。

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↓案内版には和倉検番の歴史が記載されていますが、ガラスケースの中なのでデジカメには不向き。
安政の頃には、福浦町(今の志賀町富来)から「冬期、遊芸的女共乗りて入湯を名として滞在、浴客に座興をそえた」とあり冬場のかせぎに遊女が浴客に接することを禁ずる法令も出ている。
この遊女は明治初期まで続いた。置屋が出来て「芸者」が和倉に定着するのは明治の初めからである。と記載されています。

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↓置屋といわれた芸妓屋の主なものとして、海月、田中屋、大門、ふな路、寿苑、黒船などがあげられ大正期から昭和50年代に至るまで、芸者の数は40余人にものぼった。置屋を統括するのが検番で、大正9年9月には、和倉検番株式会社が創業し、戦後は検番組合も結成されたが昭和50年代後半には徐々に衰退していった。(普通はリンク引いて誤魔化してしまいますが、リンク先もなかったので、案内版をそのまま載せてみました)。

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↓和倉温泉最古の数寄屋造建造物「渡月庵」は宿泊出来るようですね。

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↓温泉街の中央に呑み屋の一画が在りましたが、地味目な小路でした。

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↓かなり外壁リニューアルしてありますね。

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↓長屋小路を通り抜けると外に出てしまいました。

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2012年9月4日
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