花街ノスタルジア

新宿の遊里跡にて四半世紀場末の呑み屋を開いていたこともあり、全国津々浦々の花街、遊里跡巡りに填っています。負のイメージからか文化財として残されることもなく、取り壊されて、消えゆく遊里の建物に惹かれます。

東京都・神田・白山・九段下

東京の遊里跡、神田明神下・白山・九段を探索してきました。
↓神田明神男坂です。安政年間は神田講武所と呼ばれ、戦後は明神下と呼ばれるようになりました。
現在も割烹、料理屋が残ります。

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↓明神下から男坂を望みます。

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↓神田明神下界隈

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↓白山界隈は路地裏に古い建物が多く残ります。
昭和三十年代には芸妓置屋四十軒に芸妓六十人、料亭三十九軒とされています。

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↓屋号が残る建物

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↓白山界隈

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↓「赤線跡を歩く・青本」の建物(右側の建物)はなくなっていました。
この画像、右側の建物は本の左側の建物になります。

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↓白山レトロな理容室

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↓九段富士見町界隈。昭和初期には置屋百軒、芸妓三百四十人、待合百二十軒とあるが、その名残は殆ど残っていない。
唯一残る料亭風の建物、「赤線跡を歩く・青本」の九段の建物です。

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2006年5月25日
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