
東京の遊里跡、立石を探索してきました。
2018年9月5日再訪
2017年再訪。
亀戸で罹災した業者の一部が移転してできたシマで、戦時中の昭和20年6月に民家を改装して営業を開始されたという。終戦後は進駐軍向けの慰安施設(RAA)に指定された(赤線跡を歩く・赤本記載)。
↓立石を最初に訪れたのは2004年でした。今回8年ぶり再訪。駅前再開発反対ののぼり旗が随所に経っているが、駅前の町並みが殆ど変わっていないのには少々驚いた(04年画像)。








↓立石界隈の町並み(2012年)










2004年4月29日・2012年2月17日・2017年6月12日・2018年9月5日
2018年9月5日再訪
2017年再訪。
亀戸で罹災した業者の一部が移転してできたシマで、戦時中の昭和20年6月に民家を改装して営業を開始されたという。終戦後は進駐軍向けの慰安施設(RAA)に指定された(赤線跡を歩く・赤本記載)。
↓立石を最初に訪れたのは2004年でした。今回8年ぶり再訪。駅前再開発反対ののぼり旗が随所に経っているが、駅前の町並みが殆ど変わっていないのには少々驚いた(04年画像)。








↓立石界隈の町並み(2012年)










2004年4月29日・2012年2月17日・2017年6月12日・2018年9月5日
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